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2017年5月20日土曜日

2017.05.20 奥多摩鷹ノ巣谷遡行

記録
ルート:奥多摩鷹ノ巣谷
日程:2017520
メンバー:三浦玲児(4年・L)、阪本豪(4年)
記録:阪本

行動
奥多摩駅 =(バス)= 東日原11:25 – 11:45巳ノ戸橋付近より入渓12:00 – 12:50 大滝稲村岩尾根の尾根線を目指し直上 – 14:30尾根線の登山道 – 15:30巳ノ戸橋

 以前下級生の遅刻により達成できなかったルートのリベンジマッチである。参加予定だった2年の橋本が家庭の事情により欠席となったためオーバーキル気味のメンバー構成である。1052分奥多摩駅着の青梅線で合流し、バスに立ったまま揺られること30分足らず、終点の東日原で下車。初夏の奥多摩ともなると人が多い。車道を鍾乳洞方向へ10分、登山道の看板から川へ下って10分でハイボールが有名な巳ノ戸橋。てきぱきと支度し、アプローチシューズなどはデポして入渓。ワサビ田を見ながら登っていくが、なにぶん前回よりは水量が多く、見たことのあるようなないような箇所が続く。いつのまにか前回の到達点を過ぎ、小規模なゴルジュ帯を水線に沿ったり沿わなかったりしつつ越えると、20mの大滝が見えてくる。ここより上には楽しいところもなさそうなので、大滝を越えたら仕事道に出て引き返そうと決定。ザイルを出し、阪本のリードで水流の右側を登り危なげなく滝の上に出る。残置ハーケンがいくつかあるのと、開始点と終了点にはリングボルトが二つずつ打ってあった。使うのも癪なので立木でフォローをビレイした。
結構綺麗
 急な斜面を登りつつ仕事道を探すと、踏み跡らしきものはあるもののこれを辿ればいいだろうというものが見つからない。斜面をトラバースしていくのも嫌な感じだ。やむなく主尾根を目指すことにして400mほど高度を上げ、やっとの思いで嘘のように快適な登山道に出た。主尾根を下り、稲村岩とのコルを左に折れる。稲村岩では事故死者も出ているそう。側面にはルートが取れそうな壁もあったが登られたことはあるのだろうか。荷物をデポした入渓点にはすんなり到着し、名物レインマンの一手目に跳ね返されて帰宅した。川に飛び込んで遊んでいた際に川底で尻を打って今も痛い。

 OBの方にも指摘されたが1・2年生でも沢靴さえあれば問題なく登れるルートであるのでどんどん来れば良いと思う、というか来させれば良かった。

2017年5月4日木曜日

2017.05.04 GW合宿 南アルプス 二日目

南アルプス 二日目 文責:佐藤

4:00起床 何か幸せな夢を見ていたような気がする。走馬灯とかだったら嫌だな、と思いつつ朝食。1日目なら大丈夫だろうと思い、朝ごはんは食パンである。軽いし、それなりにカロリーもある。ツナマヨとソーセージ、スープで食す。少しぱさついたが、悪くはない。難点はかさばることか。スープをポタージュ系にして、浸して食べることを前提にして圧し潰すのもありかもしれない。
天気が良く、5時過ぎには明るくなり始めていた。温度も高く、外に出てもそこまで寒くはない。気持ちのいい天気ではあるが、早めに黒戸尾根をぬけたいところではある。
水は、前日に七丈小屋からひとり2リットルもらっていたが、行動水に不安がある為、伏見さんが1リットル買ってくれた。ひゅーひゅー、さっすがOB
6:00 出発 予定より遅れてしまった。反省。全体的に、今回の山行は朝がもたついていたように感じる。
前日に小屋の方から、頂上から駒津峰への巻き道で滑落があったとの情報により、尾根ルートを下ることを確認。
アイゼン、ピッケル、ヘルメット、ハーネスのフル装備で登り始める。ところどころの岩場が凍っていたりして、少し怖かった。
岩が張り出したバンド状の地形があり、伏見さんが先に行くも、先に行った伏見さんがロープを持っていたこともあり、ロープを出すかどうか迷う。結局、高巻きで進めることがわかったが、今後は先頭がロープを持つべきではないのではという反省を得た。個人的に、バンドの上を行けるんじゃないかと思い、何回か行こうとして中山さんに怒られたのが反省点。大人しく指示は聞こう。
出発から3ピッチほどで駒ケ岳山頂。なぜか、私は体調が悪くテンションが低かった。眺望とかどうでもいい状態であった。どうでもいいからけんちん汁と焼き鮭とご飯が食べたかった。食後に豆大福と抹茶が飲みたかった。豆大福は皮が厚めで皮自体は塩気がきいているやつがいい。あんこはつぶあんで。
下りは、小屋の方のアドバイス通り、尾根ルートを行こうとしたが、周りはみんな巻き道を行く。正直、巻き道の方が安全そう。尾根は急な岩場のうえに、凍っている。行きたくない。でも、これで巻き道を行って滑落して、小屋の方に「ほ〜ら〜、言ったじゃないですか〜」とか言われたくはない。尾根を行こうではないか。
 無理だ。怖い。これは引き返そう。20分ほどしてから引き返す。懐かしの駒ケ岳山頂。
 巻き道はとても歩きやすかった。途中で間違ったトレースがあり、そのトレースに従うと下が砂質の長い雪渓を行かなくてはならない。これが滑落原因かもしれない。
 摩利支天が終わったあとのトラバースは、雪が悪い感じに柔らかくなり雪崩が怖かった。橋本がもんどりうって転んだのも怖かった。もんどりうつって20年間生きて始めて使った。この辺りまでくると、そういう軽口を叩く余裕すら生まれた。
 仙水峠までの下りは、もう集中力がダダ切れで、転んだり引っかかったりが多かった。気をぬいてはいけないと思いつつ、気が抜けた。伏見さんと靴のサイズの話などをしながら下る。
 仙水峠で伏見さんに芋ケンピをもらう。
 仙水峠まできたら、ほぼ平地で北沢峠着。 
 色とりどりのテントが並び、ここはサーカスかってくらい盛況であった。
 周りがフライのなか、外張りなのが少し恥ずかしかったが、「いやー、ここまでくだると雪がないんだねえ」みたいなことをいったりして、さも高所縦走をしたかのように振る舞う。
 伏見さんがチョコパイをくれた。塚本さんがおでんを買ってくれた。幸せだなあと思う。OBってすごいんだなあと思う。私もいつか、カステラを配るようなOGになりたいものである。 
 とか、しみじみと決意を新たにしていると、なんと伏見さんがリタイア宣言。腰ベルトがすれて、肉がグロッキーな感じになってしまったようだ。これから日本の威信を背負い南極に旅たつ伏見さんに無理をさせるわけには行くまい。伏見さんは明日の仙丈ケ岳を諦め、テントで荷物番をするという任につく次第となった。我々は口惜しさに涙し…とか、このネタをいじりすぎると伏見さんが落ち込んでしまうので、もらったチョコパイが美味しかったということだけ書いておく。
 夕食は炊き込み御飯に、持っている具材を全部つっこんだ。魔法の合言葉、どうせ明日は下山だし、のせいである。天気も悪くなりそうだし、仙丈ケ岳はすぐに登れるので、予定を変更し、翌日には下山することになったのだ。
 炊き込み御飯は、一時はどうなることかと思ったが、なかなか食べられるものにはなった。やはり腐っても鯛、焦げても牛丼、塚本さんの差し入れの牛丼の素が勝因であろう。

 そんなこんなで伏見さんが中山さんのジンを塚本さんの日本酒で割ったサケマティーニを飲んで本格的に酔い潰れたりなんなりして、我々は黒戸尾根からの駒ケ岳登頂に酔いしれたのである。文字通り。

2017年5月3日水曜日

2017.05.03-05 奥利根奈良俣湖周回

メンバー:土井 杉山(L) 三浦 岸本

記録:岸本

全体の行程 : 井荻駅 --(車)-- 奈良俣ダム駐車場 - 日崎山 - 矢種山 - 赤倉岳の東のピーク - スズヶ峰 - 至仏山 - 笠ヶ岳 - 奈良俣ダム駐車場 --(車)-- 井荻/荻窪

5月3日 

天候:快晴
時刻:7:00井荻駅集合~2:30奈良俣ダム~15:15尾根取付~18:30日崎山頂上~18:50幕営

 車で山行に行くことができるならば大学生にとってこれほどありがたいことはない。ガソリン代は乗車人数で割り勘される上に、公共交通機関を利用する上でつきまとう時間の制限もなく、より自由な計画立案が可能になり、山行の幅は大きく広がる。そういった思想の下、山行の交通手段として車を利用する文化をTUSACに根付かせるため、今山行はリーダー自ら車を出して現地まで行くこととなった。今後の部の活動を大きく左右する試金石となる山行である。
 
 GWの渋滞は長い。高速道路に入るや否や下りの渋滞に巻き込まれ、当初の予定の3時間を大幅に超過し7時間を要して目的地である奈良俣ダムに到着する。この時点で当初の予定通りの行動は絶望視され、不穏な空気が広がる。
 
奈良俣ダム
尾根への取りつきは非常に急で、木々を掴みながらの登坂が要求される。日崎山に至る尾根に取り付くとまだ雪は現れないものの藪は思いのほか薄く、しばらくすると雪も出てきた。そのおかげかペース良く行動することができ、しばらくすると電波反射板が目の前に現れ、日崎山に着いたことが分かる。予定していた矢種山までとはいかないものの、初日日崎山到着を達成することができ、一同安堵の表情を見せる。

 幕営時に車のトランクに銀マットを1枚おいてきてしまっていることが発覚する。車内への忘れ物はこれからの車を使用した山行では十分に注意する必要があるだろう。



日崎山への尾根上の雪


5月4日

天候:快晴
時刻:4:30起床~5:30出発~11:30矢種山~13:30オキミスズ岩~17:00スズヶ峰中腹~17:20幕営
 
 日崎山からの稜線は分岐が多く、注意しながら進む必要がある。尾根の角度が明確に異なるので方角を確認しながら進む。1630mピーク付近は雪に覆われた広い地形になっており、ここからサングラスを着用する。頂上からは矢種山、オミキスズ岩、矢種山、さらに至仏山までこれから行く稜線が一望できる。至仏山の登りは辺りの山々と比べ非常に大きくその登りの困難さが推し量られる。予定通りの日程で下山するならば赤倉岳ピストンを済ませてスズヶ峰付近までは進んでおきたいところだ。
1630mピークからの眺望

 1630m以降は雪が多く歩きやすいが、かなり起伏に富んでおり苦労させられる。矢種山を過ぎると徐々にオミキスズ岩の登りが見えてくる。西側は迫力のある岩の連なりで到底登ることはできない。東側の斜面を登る。こちらもかなり急である。

 赤倉岳は直前のピーク状の地形にザックなどを置いて空身でピストンすることにした。早速赤倉岳山頂へのナイフリッジまで行くが、ここの状態がかなり悪い。左右の斜面はクラックだらけの上、北側斜面の下には最近のものと思われるデブリが観察された。日も登りきっており、雪もかなり緩んできているため、安全を考慮して赤倉岳ピストンは断念することとなった。赤倉岳登頂を一つの目標として実施された山行であるため非常に残念ではあるが、いずれリベンジしたいと思う。
 
 以降は特に問題のない歩きやすい下りである。スズヶ峰は山頂まではいかずに中腹をトラバースして稜線に合流する。幕営にうってつけの地形が続き、ちょうど稜線と合流して少し下がったコルの手前に幕営する。

5月5日

天候:快晴
時刻:4:30起床~5:30出発~9:30至仏山頂上~12:00片藤沼~15:00林道合流~17:10奈良俣ダム

 4ピッチで至仏山山頂に到達できれば下山できるという計算がなされ、それを目標に出発する。至仏山の麓までは若干の上り下りはあるが、昨日と比べればたいしたことはない。道中、熊の足跡を発見し興奮。そうこうしながら1時間程度で至仏山までたどり着くことができた。ここからの登りは長い。まずハイマツ帯を抜けなければならないが、明らかに雪の下を水が流れている。幸い底は浅そうだが厄介なことになる前に急いで通過する。その後雪面を上がっていくが、緩斜面を交えながら登れど登れど坂が続いていく。1時間ほど登るとハイマツ帯が再び現れる。これを抜けると至仏山の東斜面が見える。かなりの数のシュプールがあり、山スキーが盛んにおこなわれているようだ。岩稜を抜けると頂上へ至る。山頂はタイムズ・スクウェアもかくやという程大勢の人で溢れかえっており、いきなり異世界に来たような気持ちになる。
熊のものと思われる足跡


 これ以降は下り基調であり足取りは軽い。当初のもくろみ通りのコースタイムで至仏山に登れたこともあり、このまま下山できそうだ。笠ヶ岳は山頂を大きく巻く。片藤沼からの下りはかなり広く、コンパスで角度を合わせながらGPSも使い、下りの尾根に乗っていく。そこから北側に伸びる尾根を見つけて下るのだが、ただでさえ細いところに中途半端に雪がついてかなり凶悪な痩せ尾根となっていた。ちょうど1時間ほど下ると林道に合流する。林道には雪が積もっており歩きやすそうだ。登山道に再び合流して下る方法もあるが、先ほどの様な悪路だと厄介なので林道を降りることとする。

 林道を下り終え、広い道路に合流したところでザックを置き奈良俣ダムに荷物を取りに行く。渋滞などで計画に狂いは出たが、結果的に当初の予定通り2泊3日で下山することができた。
 車がなくなっている可能性など冗談を言いながら奈良俣湖へ。奈良俣湖周回達成である。幸い車は変わらず同じ場所においてあった。ところがなんとドアの鍵が開いており、ロック解除していないにもかかわらずドアが開いた。これには一同青ざめ、無くなっているものがないか大急ぎで確認する。貴重品は各自持っていて、何もなくなっているものはない。どうやら出発の際、ロックした後にドアを閉めたためにカギがかからなかったようだ。まる3日カギをかけずに車を放置していたというのはなかなかにぞっとしない。

 湯テルメ谷川の温泉で一服してから帰路に就いた。帰りは渋滞もなくスムーズに変えることができた。交通費も安く上がり、車はかなり有用であることが証明された。これからは我が部でも車を使用した山行が増えていくことであろう。しかし、安全と渋滞には注意したい。
至仏山頂上からの奈良俣湖












2017.05.03-05 矢筈岳

  • メンバー:阪本豪、白石薫平(CL)、中西隆史

5月2日

記録:中西隆史

  • コースタイム:新潟駅9:19--9:56五泉駅10:00--10:35林道終点10:54--14:31木六山--15:30七郎平山--16:50銀次郎山
  • 天候:快晴

0020バスタ新宿でテントポールを忘れたことに気が付きパーティーメンバーに自分のザックを預け帰宅することになった。バス代6700円をドブに捨てタクシーで帰宅してから1万円を払って始発の新幹線で新潟に向かわなければならない自分の情況を整理してみると、この世の全ての不幸を一身に背負ってしまったようなドス黒い陰鬱を感じ、凡そ今から山に登る等とは考えられない気分になった。JR新宿南口改札でビール缶を片手にスケボーに乗ったオッサンに横入りされて陰鬱な気分に遣る瀬無い怒りが加わり、更に帰宅してみるとテントポールは部室に忘れて速やかに駒場まで取りに行かなければならないことを知った末に我の感情は完全に死んでしまった。山が遠過ぎる。取り敢えず寝た。2時間程寝た後に朝5時の電車に乗り駒場東大前でテントポールを回収し連休初日で指定席も取れず殺人的に混雑している0700発MAXとき新潟行き3号車で最後の意志と理性を振り絞り座席を見つけて座り込むとそのまま奈落に引き摺り込まれるように眠り、次に自分の意識の存在を感じたのは新潟駅で車内点検の駅員に起こされた時だった。山はまだ遠い。

新潟駅では何故かダイヤが滅茶苦茶に変更されていて磐越西線会津若松行きを探して右往左往させられたので序でにSLばんえつ物語号の写真を通り魔のように撮影し、夜行バスで到着してから現地で3時間近く待たせてしまっていたパーティーメンバーと合流して磐越西線の車内で9時間ぶりに自分のZERO POINT 70Lと再会、上手く眠れないまま眠気が重く纏わり付いた目蓋の裏と広大な越後平野とを交互に眺めならダラダラと五泉駅に到着した。

五泉駅からはタクシーに乗った。途中のセブン-イレブンのお手洗いで水を汲み当初予定していた悪場峠ではなくチャレンジランド杉川付近の登山道から1055頃に入山したがこれには深い理由は無く、ただタクシーの運転手が悪場峠と言ってもピンと来ないらしく登山道と駐車場のあるこちら側に来たというだけである。ここから木六山までは水無平まで一度迂回して尾根に上がる道といきなり急登を詰めていく道との二つがあったが、最初から張り切って無理をすることも無かろうと前者を歩くことに決まった。空は明澄で陽射しは強く山は青々としていて間違いなく登山日和であり、久々の夏道登山道を歩くということもあって歩き始めから楽しくなり、やがて山に居るときに特有の爽やかな昂揚と山に登らない人々に対する優越感とを徐々に思い出していき、1ピッチ目の休憩の頃にはすっかり呪いのような眠気から解放されて精神の本来の快活さを取り戻していた。1205に二人組の年配の男性登山者が休憩する水無平を通り過ぎ稜線に上がり今度は三人組とすれ違った。2ピッチ目の後の休憩では我の直ぐ傍で蛇が出て、「山蛭、蝮、虻、藪蚊、山壁蝨の群棲する河内の峰や谷」と云う日本登山大系の記述に近付いているのを感じ、明日以降の行程に就いても胸の中で期待は高まる一方であった。ここら辺から道に雪も付き始めたが気温は高く既に汗で体はベトベトになっていた。その後尾根を一度外れてしまったせいでルーファイに梃子摺り最終的に藪を掴んで急な斜面を上がり雪上を詰めて尾根に復帰し木六山に着いたが幾らか時間をロスしてしまった。尾根に復帰出来れば多少風が当たって涼しくなることを期待したが暑さは軽減されるどころか益々体に纏わり付くようになり、その為に休憩中はつい水を飲み過ぎてしまうので、体の渇きと行動水の不足に対する心配とのジレンマに苛まれ、このジレンマの分だけ余計に体が渇きを感じさせられているような気がした。1430を過ぎて木六山に着いてもまだこの日の目的地である五剣谷岳の肩は見えなかった。明日矢筈岳を踏む為には今日は日が沈むギリギリの時間迄歩いて少しでも距離を稼ぐ必要があったので、パーティー一同18時までの残業を決意した。この辺鄙な山域に二度と来ることは無いだろう、ならば今回の山行で全てを達成しなければならないという鋭い決意である。しかし、七郎平直前の雪で丸ごと覆われた斜面で水を汲んで上がりその山頂の西から巻き気味に通り過ぎた1530頃には衰えを知らない暑さとは対照的にその決意は鋭さを失っていった。鋭さが失われていくと脚が攣った。左脚の膝から腿にかけて球のような凝りに関節の稼動を妨害され、更にここに来て睡眠不足が強烈に主張を始めたせいで、数歩歩く毎に、凝りを多少でも解し重くなる目蓋を持ち上げ直す為に歩みが止まった。疲れていた。


銀次郎山到着

1650に銀次郎山頂に到着した。銀次郎山頂もしっかり雪で覆われていて、他の登山者がテン泊したような痕跡が見受けられた。白石が山頂から先に下って偵察したが、ここを通り過ぎるとテント適地迄は距離がありそうだと報告し、疲労と時間とを勘案した結果銀次郎山頂でテン泊となった。山頂で記念写真を撮り、膝下ぐらいの高さの藪の脇の少し広くなった雪面にザックを下ろした。ザックを下ろすと途端に歩くことが面倒になった。ザックの中で水が漏れて中身がビショビショになっていたのも、主な装備は防水していたとはいえ、消耗した精神に更なる疲れを付け加えた。兎に角早くテントに入って休みたかった。スコップで斜面を均してテントを立て、中に入ってポリ袋に集めてきた雪を融かして水を作って漸く一息付いた。阪本は転寝していた。ギリギリまで軽量化を達成する為に、水作りも湯沸かしも単一の小コッヘルで行い、加えて我と白石は個人用バールも装備から削ってアルファ米の入っていた袋を食器代わりに用いた。アルファ米の袋を皿にして夕食のアルファ米とベーコンを食べると、単にエネルギーが補給されたという生理的な要因だけでなく、食器まで軽量化の為に省いたストイックさが確認され、出発前のこの山行に掛ける期待と覚悟を思い出し、暑さと疲労と睡眠不足と腿の攣縮とのスクラムに押し潰されそうになっていた我の心に再び弾力を吹き込んできたように感じられた。我々の今回の山行形態は縦走ではなく漂泊である。態々漂泊と銘打ってゴールデンウィークに山と高原地図にも無いような標高千数百メートル一寸の山域にその身を放り投げたのは、このようなタフな山行を味わいたかったからであり、更に云えば明日以降銀太郎山を越えて登山道が失くなってからが本番である。ここで挫けてる訳にはいかない。明日以降の行動に就いて相談し、青里岳から矢筈岳を空荷で往復4時間以上と見て午前中に青里岳に着いてテントを張ることが必要条件であることを確認して就寝した。あれだけ我々を苦しめた暑さも夜にはその面影を完全に潜め、3シーズン用シュラフのみではやや寒く感じられた。眠りは浅かった。明日以降はタイツを履いて寝ようと思った。

5月4日

記録:阪本豪

  • コースタイム:3:00起床--4:20出発--5:28銀太郎山--7:00五剣谷岳--10:30青里岳11:15--14:00矢筈岳--16:50帰幕
  • 天候:快晴

3時に起床した。トイレに出てみると、綺麗な星空である。さっとラーメンを食い、明るくなるのをしばし待つ。明るくなったところで撤収し出発した。銀太郎山までは一般登山道であり、雪面と道が交互に現れる。銀太郎山からが藪道となるが、五剣谷岳までは入山者数も多いようで比較的広めの踏み跡が付いていた。五剣谷岳ピークを越えた標高1150m付近が幕営適地となっていて、5張ほどのテントがあった。マイナー十二名山のはずなのに、とやや残念。以降は踏み跡も薄くなり、雪面を登り、藪を漕ぎ、雪面を下り、藪を漕いだ。どこがどこやら覚えていない。もうすぐ青里岳かという登りで中年男女6人パーティに出くわした。地元の山岳会のようで、聞くと矢筈岳を目指していたが青里岳から先の濃い藪を見て引き返して来たとのこと。粟ケ岳を目指すと言うと驚かれた。


ずっとこんな感じ

青里岳を踏み、幕営適地に腰を降ろして思案。南に望む矢筈岳は遠く見え、ペースを考えると山頂を踏めなくてもおかしくない。とすれば①明日の下山を見越して少しでも粟ケ岳に近づく②疲れたからここで幕営③やはり空荷で矢筈岳を目指す、のいずれか。しかしピストンとなれば荷物の軽さは段違いであるし、山行計画書に書かれた本山行の目的は矢筈岳の登頂で、何より我々は岳人である。強く生きよう。テントを設営してアタック装備を作り、出発した。

青里岳直下は聞きしに勝る藪であるが30分ほどで抜け、楽な雪面歩きが続く。アイゼンなしでも難なく歩けるのは夏の雪渓歩きの賜物か。この山域では東西に延びる稜線の東側斜面に雪が残っていることが多く、冬に西風が卓越するのだろうかと予想した。2ピッチの雪面藪ミックスの末、矢筈岳の肩に到着した。この先は遠目に見てもかなりの藪だったが、踏み入ると想定以上で苦戦を強いられた。この辺りで矢筈岳を踏んで帰って来た男女ペアのパーティに出会った。聞くとテントサイトは五剣谷だというので帰幕できるのか心配になる。とにかく我々は藪を漕ぎ、14時ジャストに山頂を踏んだ。喜んで記念撮影を互いにしていると、古びた木の看板の裏にTWVの文字が刻まれていることに気づき、なんとも複雑な気分になった。帰りはただひたすらテントを目指すのみ。先ほどの二人を追い越し(ビバークするそうだ)、17時前に帰幕した。ぐっすり眠った。


矢筈岳

5月5日

記録:白石薫平

  • コースタイム:3:30起床--4:25出発--8:30三方ガリ--11:40堂ノ窪山--13:55一本岳--14:44粟ヶ岳15:05--16:45林道終点--17:40八木ヶ鼻
  • 天候:晴、午後は散発的に西から雲が流れる

昨日は3時に起床したが、出発前に明るくなるまで少し待ったので、その反省を生かして今日は3時半起床。昨日同様ラーメンを食って、4時半前に出発。朝一から藪漕ぎで、ワイルドな1日の始まりであった。30分近く灌木と格闘し、雪渓に出た所で休憩する。ここが、青里岳山頂から伸びる市境が北に折れる箇所である。我々も同様に北進し、藪を少し下り、再び雪渓に入る。ここから1時間程度は、平和な幅の広い雪渓を歩く素晴らしい時間だった。しかし、そんな楽しい時間も長くは続かない。三方ガリ(986高点)のいくつか手前の小ピークから藪が濃くなり、忍耐の時間が続いた。この付近での私のメモには「ヤブ、ヤブ」と残されている。遥かなる粟ヶ岳を仰ぎながら、互いの姿も見えない藪をかき分ける時間は、日射もあってか気が遠くなりそうだった。


唯一の平和な時間

それでも、50分歩いて10分休むというペースを淡々と守り続け、11時頃には堂ノ窪山へ向けて雪渓の登りに入った。この時3人で話し合い、まだまだ気力は残っているので、予定幕営地であった堂ノ窪山より先に進めるということで意見は一致した。この2日間共17時近くまで行動していたため精神的な閾値が上がって(下がって?)おり、明日に重労働を残したくないという思いもあったので、誰も不平を言う者はいなかった。堂ノ窪山山頂は素通りし、藪の下りへと入る。ここで先頭を歩いていた阪本が、少しだけ道形が感じられると発言。確かに、何となく藪の密度が異なるような気がした。堂ノ窪山からコルまでは藪に阻まれ、下降だというのに30分以上を要する。このコルから登り返すと1060高点の平坦地だが、時間的にまだ行けると、ここも素通り。平坦地から少し進んだ所で休憩し、どんどん近づいてくる粟ヶ岳を見ながら、このペースなら今日中に粟ヶ岳を越えて下山できるのではないかと3人で盛り上がった。

そして雪の尾根を歩き、1240mの一本岳に登頂。一本岳山頂には標柱があり、急に下界が近づいたようであった。粟ヶ岳までは登山道が伸び、一本岳への登りの途中にはカマボコ型の資材置き場のような構造物があった。一本岳からの下降道は切り払いがされ、急傾斜箇所にはタイガーロープが渡してあった。これまで藪を伝いながら登降してきたので、眼前の露出感が逆に恐怖心を感じさせた。この道を下っている途中に、これから登る斜面の右側でブロックの崩壊が起こった。この山行中、雪渓崩壊の音は何度も耳にしていたし、遥か下方で崩壊するのを見てはいたが、目の前で見ると人間などひとたまりもないことがよく分かり、肝を冷した。

一本岳と粟ヶ岳との鞍部からの登りは、中央部に藪が露出しており、その遠い右方で崩壊が発生し、その左方の雪渓を我々は登路とした。目の前で崩壊を見た直後だったので、一人一人間隔を空けて登った。その後は緩やかな雪渓を歩き、ついに粟ヶ岳に登頂。広大な山並みを眺め、それを歩いてきた感慨に浸った。山頂では6人程のパーティーが宴会を楽しんでおり、我々は今日中に下山できることを確信した。


良い表情です

粟ヶ岳からの下りは一級の登山道。これまでとは打って変わって地面が固く、雪渓付近の土は滑り易くなっているのが印象的だった。行動開始から12時間半で林道入口に到着。久々にアスファルトを踏んだ。

八木ヶ鼻の集落までは五百川(いもがわ)の棚田を眺めながら歩いた。夕焼けに染まる八木ヶ鼻の岩壁を眺めると、田んぼから蛙の声が聞こえてきた。心地良い疲労感が全身に行き渡った。下界では就活や院試が待っているが、山に賭けたこの3日間は人生の時間の使い方として間違っていない。そんな信仰とも言える思いを胸に、街へと戻っていく境界の時間を、この美しい棚田に囲まれて過ごしたのである。

2017年5月2日火曜日

2017.05.02-05 北アルプス スキー


双六岳・三俣蓮華岳周辺 バックカントリースキー
201752()55()、前夜から夜行バス
メンバー 3年池田(L)2年縄

5/1
22:55バスタ新宿発

5/2 快晴。これが本当の快晴というくらいの快晴。登山口0℃程度、行動時5℃程度、無風。
3:20平湯温泉バスターミナル着
6:30起床
7:00新穂高温泉ロープウェイ行きのバス乗車
7:35新穂高温泉ロープウェイ7:45
9:40わさび平小屋
10:15小池新道入り口
14:45鏡平、幕営
19:30就寝

5/3 快晴のち時々高曇り。朝0℃ 昼10℃〜20℃ 風は弱い。
4:30起床
6:00撤収、出発
7:15弓折岳
9:15双六小屋、幕営
10:00再出発、双六岳トラバース
12:20三俣蓮華岳12:30
12:45三俣小屋
12:55黒部源流13:20
15:00三俣蓮華岳
16:30双六岳
16:50双六小屋
20:00就寝

5/4 快晴のち時々高曇り。朝-3℃ 昼10℃〜15℃ 風は弱い。
4:30起床
6:00撤収、出発、双六岳トラバース
7:45三俣蓮華岳8:00
8:30黒部五郎小屋8:40
11:00黒部五郎岳11:20
11:50黒部五郎小屋12:20
14:30三俣蓮華岳
15:40双六岳、双六沢
16:30双六小屋
19:30就寝

5/5晴れのち曇り。朝0℃ 下山時20℃ 風は弱い。
5:00起床
6:30撤収、サブザック行動へ。双六岳中腹よりモミ沢を少し滑る。
7:50双六小屋8:10メインザック行動へ。
10:00弓折岳10:20
11:25小池新道分岐前橋11:50
13:45新穂高温泉ロープウェイ(温泉)14:55
15:30平湯温泉バスターミナル18:00
24:20バスタ新宿着

残雪期のスキーということで北アルプス周辺をチョイスした。
最初の計画では45日であり、プラス予備日を確保するため一般人のGW開始1日前に入ることにした。エッセンは2人パーティーであり荷物もできるだけ軽くしたいことからアルファ米とした。

5/1
順調に準備を進められていると思っていたが高松山の頃からアイゼンの紐が短いままで、前日に岸本さんからアイゼンの紐を買うはずだったが手に入れられず仕方なくmontbellで当日に買おう、と考えた。ところがmontbellには専用のアイゼンの紐しか置いておらず、時間もなく部室にあるアイゼンを借りようかと思ったがそれも長さが足りず無理だった。結局部会を早抜けして一か八か池袋の好日山荘に行くが事前注文が必要で詰み。アイゼンの紐は短いままで不安要素を残す形で出発となってしまった。

5/2
3:20というすごい時間に平湯温泉で降ろされ、中も開いてないしバスは7:00発だし適当なところで銀マットを敷いてシュラフで寝た。冷え込みがきつかったがシュラフはやはり暖かかった。
ロッカーに荷物を入れさせてもらい、スキー板にストックをくくりつけるバンドを池田さんから貸してもらい、バスに乗り込んだ。最初から最後まで池田さんと僕しか乗らなかった。バス到着後にすぐ出発するが出発してすぐ水を持っていくことを忘れていることに気づいた。夜出発の時は忘れやすいので気をつけなければならない。今年は雪が多く、登山口から10分ほどでシールをつけることにした。そんなに悪くないペースだったと思うがわさび平小屋ですでに2時間経ってしまった。
わさび平小屋を越えるとデブリが頻繁に現れ始め、トラバースして進んだ。凸凹地帯は普通に進みづらい。小池新道分岐の橋で一旦休憩。水が手に入るのも最後そうだったのでまた少し水を汲んだ。
ここからは一気に高度を上げなくてはならない。汗をかきながらデブリを何度も越えた。左の崖からは雪崩の音も聞こえた。気温が上がってきており、危険で、なるべく早くこういったところは抜けたい。わさび平小屋はこの時期なのに営業していなかったので聞き出せなかったし雪崩てもおかしくなさそうだったので大ノマ経由は諦めて鏡平経由で行くことにした。熊の踊り場?までの急登を終え、なだらかな斜面となるがここからまだまだ長かった。鏡平に着いたのは14:45で、弓折岳への登りが雪が緩んでいて危険、トラバースも西斜面で雪崩の危険があり、新穂高からなんだかんだ1200m登ったのでここで幕営とした。
鏡平からの景色は本当に良かった。槍・穂高が綺麗に見え、焼岳も見える。圧巻であった。テント内は暖かく絶好の昼寝日和であった。電波も通じていて、案の定写真をtwitterにあげたら11favきた。
アイゼンの紐をできるだけ解けないようにするため池田さんと相談し、留め具の下を通すことでなんとか手前で末端を回せそうだったのでそれで行くことにした。
翌日はまだメインザックで3時間登るのでそれに備えて早めに寝た。

5/3
起きて1時間半で撤収し重いメインザックを背負う。途中までは緩い登りで順調に進んだ。だが途中からは急な登りとなるためアイゼンで行くことにした。急斜面でスキー板をつける作業は体力が奪われた。スキー板を担ぐと一気に重くなるが体勢を崩さないように一歩一歩確実に進むようにした。ハードな登りだったが思ったより早く弓折岳に着いた。アイゼンの紐も解けなかった。
だが弓折岳からのトラバースは長かった。アップダウンもあり、下りは慎重になるし時々スキー板を担いだ。弓折岳から2時間ほどで双六小屋に着き、幕営した。やはり1日早く入ったこともあってテントは自分達だけだった。少し休憩し、サブザック行動へ。
本来岩苔乗越までの予定だが鏡平から上がってきたので行けそうなところまで行って引き返すことにした。双六小屋からの登りは灼熱地獄だった。半袖でも汗で目がしみるほどだった。蓮華温泉の反省を生かして日焼け止めは塗っていたので日焼けは大丈夫だろうと思った。
稜線に着くと少し陰り暑さも幾分マシになった。雪庇が大きく登れるところがあるか心配だったが十分広く、三俣蓮華までアップダウンがあるものの滑落の危険は感じずに済んだ。3時間ほど見ていたがそこまではかからずに済んだ。
三俣蓮華岳の眺めも素晴らしい。黒部五郎、雲の平、水晶岳、鷲羽岳、北鎌尾根に硫黄尾根。
三俣蓮華岳でシールを外しようやく滑降だ。左の尾根があるが雪が柔らかいので三俣山荘に向けてまっすぐ滑り込んだ。初め急(40度くらい)だったがなんとか滑ることができた。三俣山荘から引き返すのもアリだったがこの時期日没は遅いし5/6の天候が微妙で5/5で帰ることになりそうだったので黒部源流までは滑ることにした。ストップ雪であり、あっという間だった。とにかく暑かったがここからまた三俣蓮華まで登り返しだ。
三俣蓮華岳へは尾根を使って登った。すでに気温が下がり始め少しクラストしかけている。2:00に新穂高を出発したという団体とすれ違う。よくそんな長い間行動できるなと思った。三俣蓮華の後は黒部源流で幕営し水晶岳の方へ向かうらしい。
黒部五郎岳もよく見えていたので翌日の滑り込む場所を何度も見た。ほとんど雪庇に覆われているが北側の尾根の雪庇の切れているところからが滑り込めそうと池田さんは言うが見た目では80度くらいあるのではないかというくらい急だった。実際は40度くらいというが本当だろうか。
行きでは双六岳はトラバースしたので帰りは双六岳を登ることにした。一応今回のルートでもっとも高い山である。別段意味のある山ではないけれど。そこから双六小屋のすぐ近くにかけての沢を滑った。
幕営は17:00で長く充実した1日だった。テントも増えて賑やかだった。池田さんが持ってきたフルーツ缶は最高だった。夏山合宿に持っていきたい。
翌日の黒部五郎岳は夏山の行動時間で9時間くらいはあったので弥助沢に行く余裕はないだろう。

5/4
4:30に起床だったがなかなか眠かった。十分寝た気もするがあまり体力が回復した感じはしなかった。スキー靴も急に入りづらく感じた。前日絆創膏してたのに剥がれてたし痛い。6:00に出発し、ついにこの日は黒部五郎を目指す。そんなに遅く歩いているつもりはなかったが池田さんから度々急かされた。行動時間が長くなりそうだしもっともなのだがトラバースも楽勝なわけではなくまだ怖さはあるのでなかなかきつかった。それでも三俣蓮華岳までは昨日と同じルートなので順調に進んだ。
三俣蓮華岳でシールを外し、黒部五郎小屋まで滑る。尾根が細く慎重に進まなければならないのに雪庇の方へ何度か行きかけた。まだ雪庇への認識が甘いことを痛感させられた。見た目以上に危険で余分めに見ておく必要がある。黒部五郎小屋直前の滑降は硬すぎず綺麗な斜面でそれまでで一番の滑り心地で斜度も程よく素晴らしかった。
黒部五郎小屋でシールを付けてさあ、登りだ。やはり暑かったが出だしは順調に高度を上げた。緩い斜面に入ると黒部五郎岳はさらに大きく見え、その美しさに見とれながら進んだ。
途中からトラバースに変わるとやはり自分は怖かった。雪は柔らかくしっかりスキーアイゼンも食い込んでいるものの斜面の先延長上には数百メートル下が見えていて怖さで小股で進んでしまった。池田さんからも遅いと言われた。
頂上まであと200mの所でスキー板を担いでアイゼン歩行で行くことにした。スキー板を取り付けてアイゼンを履いて…の作業でもたつき、高度も高いからか体力も回復しなかった。スキー板を背負うとやはり一気に重さを感じ、ますます歩みが遅くなった。結果から言うとバテバテだった。何度も止まった。結構時間はかかってしまった。
黒部五郎岳に着くと人でいっぱいだった。池田さんに降り口を確認してもらい、しばし休憩。スポーツドリンクの粉を飲んで体力が戻った気がする。
そしてついに黒部五郎カールの滑り!滑り口にはすでにトレースがあり皆そこから滑り込んでいるようだった。斜滑降で1回キックターンする。斜度がしびれる。上部の雪庇も怖いし雪崩も怖いので速やかに滑ろう。雪は柔らかかったのでなんとか回れた!絶景を一気に下る。あっという間に下まで来た。あとはなるべく止まらないように黒部五郎小屋まで進む。
黒部五郎小屋にようやく着き大休止。黒部五郎カールを滑ったのだと改めて感動する。さあ、三俣蓮華岳まで今から登る。
三俣蓮華岳までの登りはやはり長かった。体力は回復してそこまで遅くなかったと思うがやっぱり途中のトラバースが怖かった。また体力を使ってしまい、へとへとになった。丸山でシールを外す作業も緩慢になってしまった。バテバテだ。まだ若干時間はあるので双六沢を滑ることにした。池田さんから気合いがないと言われなんとか気合いを見せようと双六岳の登りは頑張った、気がする。双六沢はそこそこ広く、夕方で雪も多少締まっていたので良かった。なるべく左にトラバースして、双六小屋への登りは20分ほどに抑えた。
双六小屋に着いた頃には猛烈に疲れた。スキー靴の痛みもあるかもしれないが10時間*2日の行動に純粋に疲れた。
黒部五郎も無事滑れたので翌日に帰ることにした。またメインザックで登るのかと思うと気が遠くなった。

5/5
行動時間に余裕があるので5:00起床で少しモミ沢を滑ることにした。9時間半寝たはずなのに正直寝足りなさすら感じた。足も結構限界がきてる感があった。双六小屋からの登りでやはり遅いと言われる。テンションもあまり上がらなかった。モミ沢への滑りはまだ朝で締まっていて、あっという間だったが快適だった。双六小屋へ登り返してメインザックでついに下山だ。
トラバースとはいえアップダウンがあり、メインザックの重さで足は思うように進まなかった。なんとか弓折岳についた頃には2時間が経過していた。
弓折岳では電波が入るようで、居合わせたスキーヤーから穂高で死亡事故があったらしいなどと聞いた。向かいに見えている穂高連峰にはヘリが飛び回っていた。
さあ、一気に高度を下げよう。雪崩の危険もあるのでさっさと下ってしまいたい。雪はスラフが多めでやはり安定してないようだった。重く滑りにくい悪雪だったがなんとか下っていく。デブリ地帯もいやらしく下に行けば行くほど一気に暑さを感じたが橋までほとんど休憩せずに下った。橋に着くと安堵できた。大休止した。
まだ新穂高までは少し距離があるがなるべく板を滑らせて進んだ。4日前と比べると明らかに雪が少なく、雪解けの速さを感じたがそれでも登山口まで15分くらいのところまでだいたい雪はつながっていて、滑ることができた。
蓮華温泉の時などと比べるとその点は明らかに楽で助かった。荷物をデポして温泉に入った。新穂高温泉はアメニティーも充実しており800円の価値あり。
帰りのバスの分の回数券の分まで買っていたのに予約が埋まっていて今日中に帰れない可能性もあったがなんとかキャンセルのでた瞬間を狙って予約を取れた。下山の日がわからない登山において帰りが混んでいる時その分の回数券を買うのは少し危険だった。
取れたバスは最終の18:00発だったので平湯温泉で時間を潰した。バスの到着予定時刻は22:40だったがGWUターンラッシュに巻き込まれて24:20着になった。終電にギリギリ間に合い、無事帰宅した。

今山行は残雪期のバックカントリーを経験でき、黒部五郎カールも滑れて自信をつけれたがまだ雪庇に対する認識が甘かったり体力面できついところがあったのでこれらを反省点として生かしたい。スキーでリーダーができるようになるためにはこの辺が不足点であろう。

それにしても今回天候にはかなり恵まれ、景色も圧巻であり、素晴らしい充実した山行であったと思う。