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2015年9月28日月曜日

2015.09.27 奥多摩シンナソー沢

メンバー:伏見L 三浦 阪本 天候:曇り時々雨
記録:伏見
北秋川水系シンナソー沢に行ってきました。
<行動記録>
 730武蔵五日市駅集合-(バス)-830頃 藤倉-845入渓-1000頃登山道合流-1100木庵-1130温泉センター-(バス)-武蔵五日市
<概要>
 武蔵五日市駅で集合してバスに乗る。終点下車なので車内で容赦なく寝る。藤倉のバス停で沢登りの支度をする。ちなみにバス停のすぐそばにトイレもあった。バス停から5分弱戻ったあたりにある廃屋(?)付近から入渓する。事前に調べていた通り明らかに人が住んでいそう、、、。
入渓地点から5分足らずでシンナソー取り付きにつく。
しばらく登っていくと核心と言われていた3段10mの滝に出る。対して難しくもなさそうだったのでロープ出さずに進む。左岸の岩はヌメヌメしていると他の記録には書かれていたが、それほどではなかった。巻道もしっかりとついていたが、そちらの方がすべりそうだった。そのまま突き進み2つ目の難所といわれていた3段15mの滝に出る。が、特に気にせずスタスタ超える。一昨日金曜日の雨の影響か水量が程よく多く、とても気持ちよく登れた。
少し休憩したのち倒木が激しい道を進んでいく。途中分岐していた箇所は迷わず左に向かう。水がなくなってきたあたりで登山道へと合流した。
 
二俣手前あたり 倒木多い

浅間登山口へ向かっていると木庵という昨年できたらしい温泉施設を見つけた。今日は温泉がお休みということであったが、女将さんのご厚意で中で休憩させてもらえた。とてもきれいな施設で、次回来るときは是非温泉にも入りたい。せっかくなのでURLもあげておく。(http://www.sengenzaka.com/)
<感想>
バス停から取り付きまで5分弱、下山口にバス停ありなどとても便利な沢だった。
唯一の欠点は短いことだろうか、、、
来年5月ぐらい、足慣らしでもう一度来てもいいかなと思った。その時は新入部員も連れて来よう。



2015年9月7日月曜日

2015.09.03-07 秋山合宿 雲ノ平-裏銀座縦走

2015年度 秋山合宿(北アルプス 雲ノ平-裏銀座縦走)

記録 池田航

参加者 4年:金山 1年:池田

93日 曇りのち霧、時々雨
10:09折立-13:20太郎平-13:35薬師峠キャンプ場
94日 曇り時々雨および霧
06:20薬師峠キャンプ場-06;43太郎平-08:00北ノ俣岳-10:46黒部五郎岳-(稜線ルート経由)-12:27黒部五郎キャンプ場
95日 晴れ             
05:27黒部五郎キャンプ場-07:03三俣蓮華岳-08:20三俣山荘-09:05鷲羽岳-10:00北ワリモ分岐-10:47祖父岳-11:35雲ノ平キャンプ場
96日 曇りのち風雨
05:02雲ノ平キャンプ場-06:30高天原峠-08:50高天原山荘-09:02高天原温泉09:45-10:00高天原山荘-10:55高天原峠-11:55雲ノ平山荘
97日 曇り時々雨
04:26雲ノ平キャンプ場-04:59祖父岳分岐-05:46黒部川源流-06:20三俣山荘

記録詳細
1日目
 富山駅に集合し、8:40に予約していた大和タクシーで折立に向かった。8月を過ぎると、折立へはバス便が平日以外なくなりタクシーしかなくなるので、その分高くついてしまうのは今後の注意事項である。折立から太郎平への登りは5時間ほどのコースタイムであり長く思えるが、はじめの樹林帯の2時間ほどの急登のあと、辺りが開けるとそこからは眺めのよくなだらかな、心地よい登りとなる。上部では特に木道がきちっと整備されているため歩きやすい。その他の道も岩が敷き詰められており、道迷いの心配もない。折立になかった登山届けポストは代わりに太郎平にある太郎平小屋で引き受けている。太郎平小屋で幕営の手続きをした後15分ほど歩いた薬師沢キャンプ場でテントを張ってしばらくすると小雨が降り始めた。薬師沢キャンプ場はテン場内にハイマツがいくらか固まっており、風向を考えてそのハイマツの風影にテントを張るのが効果的だ。(ちなみに、幕営時は薬師沢から吹き上げる風が強かった。) (薬師沢キャンプ場700\/人泊)
2日目
 夜も降り続いていた雨は止み、テントを撤収しているときは晴れ間も見えた。太郎平からはその日の縦走路である太郎平~北ノ俣岳の稜線も垣間見えたが、黒部五郎岳の山頂は雲に包まれていた。歩いていくうちに雲はどんどん下がっていき、途中で飲まれてしまった。道は最初1時間ほどが木道主体で歩きやすいが、北ノ俣岳の登りの途中から木道は無くなり、普通の道が始まる。前夜の雨の影響で水没している部分が多くあり、水と泥に難儀した。北ノ俣岳を過ぎると雨と日本海側からの風が強まり、一気に体感温度が下がった。濃霧のため黒部五郎岳から黒部五郎小舎へ向かうカールルートはルートロストの危険があると判断し、稜線ルートを選択した。稜線ルートには細かくペンキ印が頻繁にあり迷うことは無い。上部は簡単な岩稜歩きとなっていたが、岩が濡れているとかなり滑りやすいのでこれから行く際は注意が必要だ。下部に近づくにつれ機が多い茂り、カールルートに比べマイナーなためか整備が悪くなってくる。泥濘が多くあり、あまり快適な道とはいえなかった。到着した黒部五郎小舎のキャンプ場も薬師峠キャンプ場と同様にコルにあるので水が集まりやすい。特に雨の後は、砂地状のテン場の上に水の流れた跡があるため、それらを見極めた上でテントを設営するのがいいと思われる。(黒部五郎キャンプ場 1000\/人泊)
3日目
 この日は合宿で唯一晴れた日であった。三俣蓮華岳への登りは巻き道を通らずに稜線ルートを選択したが、ルートも明瞭で気持ちよい稜線歩きであった。三俣山荘から鷲羽岳の上りは長く見え、コースタイムも1時間半であったが、体感ではあまり長くなく45分ほどである。ワリモ岳山頂直下は岩が大きく張り出していて、トラバースする形となるが、ワリモ岳から鷲羽岳のほうに向かおうとすると(つまり今回の行程を逆走する形を取ったとすれば)ルートが少し分かりにくくなっているので気をつけたい。北ワリモ分岐を過ぎ祖父岳ののぼりにかかるとハイマツ帯の登りとなるが、所々ハイマツの自然な切れ目が道に見えて本当の道とどちらなのか悩むところがあった。また、祖父岳山頂からその下にかけて大きな岩が並ぶ道となるが、ただ広く開けた場所なので濃霧時などかなり迷いやすいと思う。ペンキの印がかなりしっかりついているので見逃さないよう注意が必要だ。雲ノ平のキャンプ場が見下ろせる木道に着くとそこからキャンプ場に真っ直ぐ降りる道が見えるが、当時閉鎖されていて北側を大きく迂回する道を歩くこととなる。そのため予想より幕営地に着く時間が30分ほど長くかかった。到着が11時過ぎで、急げば翌日の行程であるはずの高天原温泉往復(6時間)も不可能ではなかったが、幕営をすれば出発が12時ほどとなり、帰幕が日没近くになってしまうこと・連日の大雨で道がぬかるんでいること・高天原温泉間までの道がマイナールートであることを理由にその日中の温泉は止めという判断を下し、雲ノ平でゆっくりしてその日は過ごした。(雲ノ平キャンプ場 1000\/人泊)
4日目
 予定通り高天原温泉まで雲ノ平から往復した。テントは雲ノ平キャンプ場に張ったまま、風呂用具とビバークセット等必要最低限のもののみ持って、それ以外はテントにデポ。その日は午後から雨という予報があったので午前中の帰幕を目指し、朝は早めに出発をした。しかしテントを出発した直後から雨が降り出しその後も実際は断続的に雨が降っていた。あまり強い雨ではなかったため行程は続行をしたものの、大きな岩が並ぶ道はかなり滑って苦労した。途中雨量計があり、そこを過ぎると奥スイス庭園というものがある。その奥しばらく行ったところからいきなり樹林帯に変わり急な下りが始まる。樹林帯はあまり整備されていなく、ぬかるんでいるところや滑りやすい所等かなりあるので注意を怠ることは出来なかった。樹林帯の中時々平らな所が出現し、高天原峠のように思ってしまうが、騙されてはいけない。丁度長い梯子が3つ連続するところがあり、そこが大体中間地点である。ほぼコースタイム通りで高天原峠に着くとそこから高天原山荘までの道は少しマシになる。下部に岩苔小谷の沢があり、そこを越える橋が、山と高原地図では丸太橋と紹介されているが、実際はしっかりとした橋なので心配は要らない。高天原山荘を通り過ぎ、高天原温泉に着くころには雨も止んでいた。温泉で一時間ほどゆっくりした後は一旦高天原山荘によって入浴料(一人300)を払い雲ノ平まで上り返した。思ったよりも時間はかからなかった。雲ノ平山荘についてテント代の支払いを済まし、ゆっくりしていると次第に雨が強くなっていき、帰幕したころには風まで出てきてしまった。その日は夜通し風雨が強く眠れない夜を過ごすこととなる。
5日目
 先日から続く風雨は収まったが、雨のためにテントの横に川が出来ていた。そのためテントも一部が浸水してしまった。先日の夜の話し合いでこの日に新穂高温泉にエスケープをすることを決めていたので起床もそれに応じて3時と早く設定したのである。撤退の理由としてはまず、台風のため910日に鷲羽岳~裏銀座にかけて雨に加え風速20m/sほどの予報が出ていること、そしてそのころ烏帽子岳~針ノ木岳にかけてのやせ尾根の岩場を通る予定であること、裏銀座からのエスケープルートが大雨の時危険を伴うこと(烏帽子小屋から高瀬ダムのルートは最後が谷に合流し増水注意と指示、針ノ木小屋から針ノ木雪渓も気温が低いときに雪渓が凍って雨が降ると滑落の危険大、船窪小屋から奥黒部ヒュッテも針ノ木沢の渡渉があり増水時危険)、予備日が1日しかないことなどから、計画の続行は危険と判断したためである。テント場を出発したときはまだ暗くヘッドランプがないと何も見えないような状況であった。ようやく明るくなってきた時は日本庭園についていた。そこを過ぎると黒部源流を目指し急な下りが始まる。所々岩が滑ったが道は明瞭だ。黒部源流は懸念していたほど増水していなく、お助けロープもあったため渡るのに苦労することは無かった。三俣山荘までの登り返しも順調でそこから双六山荘までは巻き道を通った。これはまず時間最優先で行動していたためだ。途中雷鳥の群れにも会いそこを過ぎた、縦走路との合流地点でようやく携帯の電波が通じたため、在京連絡人の岸OBと連絡をとることとした。そこから新穂高温泉までは鏡平経由の道である。歩きやすい道ではあったが鏡平山荘~秩父沢の間で一箇所土砂崩れの現場をトラバースするところがあった。整備していた方によると、3日前に大雨で崩落したらしい。その後もいくらか古い土砂崩れの跡があったので、大雨のあと新穂高温泉から鏡平を歩くときの懸念材料でもある。そこを過ぎるとそのまま新穂高温泉まで歩きやすい道であった。ちなみにシーズン外では新穂高温泉から松本などへの直行バスは存在せず、高山行きのバスに乗った後、平湯温泉で乗換えとなるので要注意だ。

個人反省
金山

池田
・計画立案者でありながら、計画のエスケープルートの記入に不備があった。具体的には実際新穂高温泉に下山したが、当初予定ではその可能性を考慮していなかったために、このルートを計画書に掲載していなかった。
・個人的に久しぶりの縦走であり、縦走についての感覚が思い出せた。
・テントの煙突を閉めておかなかったためテント内を濡らすなど些細なミスが多かった。

金山
・準備段階
・直接顔を合わせて計画を立てることはほとんど無かったが、装備や食料に関して特に不都合なく計画を立てることが出来たと思う。
・ただ、交通機関に関する調べが甘かった。バス利用で入山する予定であったが、9月以降は土日のみの運行であることに気付くのが遅れた(ここで余計にお金がかかったことが後々響いた)。
・共装を軽量化出来たのはよかった(特にコッヘルを削減できたのは容積的にありがたかった)
・山行中
・暫くトレーニングをサボっていたので、入山日が荷物の割にきつかった(2日目以降は問題なかったが)
・毎日お昼すぎにテント場に到着する行動が出来、時間に余裕を持って行動できたのは良かった。
・行動中の問題は特に無かったように思う。
・下山の判断は結果的に正解だと思う。雲ノ平からの下山を考えていなかったので、エスケープ先に新穂高温泉を想定していなかった。反省。
・エスケープ時に黒部の源泉に降りることに池田が逡巡したのは良い判断であった(結果的に杞憂であったが、慎重になるに超したことはない)。
・ガスを多く持って行ったので、テント内で暖を積極的に取れたのは良かった(天気の悪い日が多く、冷えた)。
・その他感想
・温泉旅行的な趣があり、楽しい山行であった。
・電波の入りづらいところを歩いたので、ラジオを携行する必要があったかもしれない。
・携行したお金がギリギリであり、タクシー利用の下山を躊躇う理由になった。安全面以外の理由で行動が制限されたのは問題であった。
・エッセンは美味しかった。(お茶漬け、チキンラーメン、パスタ)
・ペグ紛失してごめんなさい


2015年9月5日土曜日

2015.09.05-08 秋山合宿 八ヶ岳縦走


2015-09-05 秋山合宿 八ヶ岳縦走            
文責:岸本卓也

メンバー:土井崇史(SL)、伏見修一(CL)、杉山晋、中西隆史、岸本卓也



一日目 天気:晴れ

10:45 観音平-11:25~11:35 雲海-12:25~12:35 休憩-1:25~1:40 編笠山頂~1:55 青年小屋



小淵沢駅からタクシー2台で観音平へ向かう。観音平の側まで来ると駐車場から溢れた車が道路に置かれ長蛇の列をつくっていた。観音平から編笠山頂までは何事もなく進み青年小屋に向かった。大きな岩の積み重なった岩場を下り青年小屋に着きテントを張り一日を終える。いたって平穏な一日であった。ちなみにこの日は一年生の岸本君の誕生日(9/5)である。



二日目 天気:晴れのち雨

5:10 出発~6:10-6:20 権現小屋-7:15~7:25 キレット小屋-9:10~9:15 赤岳頂上-10:00~10:10 休憩-10:30 三叉峰-10:40 横岳~11:05 硫黄岳山荘-11:40 硫黄岳頂上~1:00 オーレン小屋



二日目の行動時間は長い。一日目とは比べ物にならないほど長いため皆早めに行動し予定よりも早く出発した。権現小屋そして赤岳まではそれぞれ岩稜地帯を登る。キレット小屋に着き赤岳を登る。稜線上は風も強く非常に肌寒かった、半袖では厳しいという感じである。衣服調整を挟みつつ登っていくと次は雨が降り出し各々雨具を取り出して着替えた。赤岳の頂上は人が多くそれぞれの登山客が思い思いに登頂の喜びをかみしめている。とても長いできる様子ではなかったため五分ほどの休憩ののち移動を始める。おそらくここからの下りであったと思うが非常に長い梯子がありいつまでたっても下り終えられない感じは恐ろしかったが同時に楽しくもあった。それを過ぎるといよいよ稜線上といった景色が広がっていて横岳を過ぎて硫黄岳へと向かう。

硫黄岳の頂上に近づくにつれ霧が濃くなっていく。頂上に着くと案の定一面濃霧である。景色が見られないと思っていたが出発するころには霧も晴れ、壮大な爆裂火口跡が見られ一満足である。

それからは何事もなく下りオーレン小屋へ。なんとか本降りになる前にテントの中へすべての荷物を入れることができた。その後数人でオーレン小屋のお風呂に漬かった。ぬるかった。天気予報を確認する。雨が多そうであるが、明日の朝は降らなさそう。就寝。



三日目 天気:曇りのち雨

5:00 出発-5:30 箕冠山頂-5:25 根石岳山頂-7:25 休憩-8:20 中山-9:00 高見石小屋-10:00 麦草峠-11:05 茶臼山-11:40 縞枯山-12:50 三岳Ⅰ峰-1:45 北横岳-4:00双子池ヒュッテ



箕冠山をすぎると開けた景色を楽しめた。この日は先々に天候不順が予測されるため二日分の行動を消費することになった。中山峠へ向かう道中の道は雨でぬかるんでおりところどころは沼のようになっていた。あまりにも足元に注意がみんな向かいすぎていたためであろうか看板までたっている分岐を間違い目についた木道を進んでしまい黒百合ヒュッテに出てしまった。その後麦草峠を過ぎて三岳へ。登りは何とかなったが下りが手こずった。岩だらけの景色のなかで進む方向も明瞭でなく、雨で岩が滑り大変だった。体力もなくなっていたため慎重に進んだ

そうした道がほとんど双子池まで続いた。双子池ヒュッテでは池の水を飲むことになりいい経験になった。地面が濡れているとどんどんとテントの底が水でぬれていき深い極まりない惨状となることがわかったのもいい経験だった。



四日目 天気:雨

6:05 出発-6:40 双子山山頂-7:00 大河原峠-8:30 琴料山荘-9:00 琴料山山頂-10:30 下山



朝起きると雨が降っていた。話が違うという雰囲気の中で双子山に登る。双子山は普通の登山道が終始続いていた。その後大河原峠に着き琴料山を目指す。ここからは岸本が先頭を努めた。進んでいくとずっと笹原が続いており途中から先輩が先頭を代わった。そうして進んでいくと途中完全に道を外れてしまい一面木が広がる森の中を進む。そうしているうちに道を発見し登山道に戻った。岩だらけの道を登りいよいよ琴料山の山頂へ。もうみんな下山しか考えていない。山頂も立ち止まらず遥か彼方山の向こうのバス停を目指す。ひたすら長い下りであった。黙々と下る。あと30分で下山というところで岸本がひそかに捻挫する。

そしてバス停に着く一足早くバス停に着き皆を待っていてくれた中西さんが茶屋の庇の下でくつろいでいる。その後タクシーを呼び駅の近くのホテルで温泉に。いい山行であったように思う。

2015年9月4日金曜日

2015.09.04-08 秋山合宿南アルプス南部縦走

秋山合宿南アルプス南部縦走記録
2015/10/15作成
実施日:2015/9/42015/9/8
ンバー:阪本豪 (2,L)、三浦玲児 (2)、中山省吾 (2)

隊の記録(概略)
 5日は兎岳避難小屋泊の予定だったが、百間洞山の家に泊まった。
 7日の予定だった荒川岳往復は、6日に行った。
 台風接近のため8日に、三伏峠よりエスケープした。



記録
98日 晴れ

(竹橋22:40-5:40)ゲート5:55-6:35畑薙大吊橋-7:00ヤレヤレ峠7:10-8:00ウソッコ沢小屋8:15-8:55中の段-9:05ほど良いところ9:20-9:35横窪沢小屋9:50-10:40倒木ベンチ10:55-11:55茶臼小屋

  竹橋からの夜行バスはお世辞にも快適とは言えなかったが,窓際に陣取った阪本はなんとか睡眠を確保した.残る通路側の2人は睡眠が足りなかったようだ.それでも本来ならタクシーかマイカーでしか来られないところに直通で来られるとはありがたい.バスは定刻通りゲートに到着しUターンしていった.降車客は我々を除き3人で,みな茶臼小屋までは同じだ.南アルプス登山指導センターのボックスに計画書を提出し,縦走の始まりだ.ゲートは右を通れるようになっている.
    なかなか吊橋が現れないと愚痴りながら,巨大なダム湖を左にしてだらだら車道を歩いていると,遠くの方を細い線が走っている.まさかと思いながら近づくと湖を渡る細く長い吊橋である.幅が20cmなのに対し,全長はなんと131m.これだけ長い吊橋を渡るのは初めてで興奮した.渡り終えると山道が始まった.じめじめした樹林帯の急坂を登っていく.キノコが多く,陰った印象だ.しばらくは湖に沿ってトラヴァースしていく道である.ゲートから1時間余りのヤレヤレ峠で小休止した.ここは湖側にも尾根があり,冬季には油断すると道に迷いそうだった.
    再びトラヴァース道が続く.しばらくして沢にぶつかり,そこからはウソッコ沢小屋まで沢沿いを登っていく.5個ほど吊橋が出てきたが,濡れた木がとても滑りやすく,阪本と中山は一度ならず滑って危なかった.ここまで水場がなかったので,沢に流れ込む支流の水を汲んだ.エアリアには載っていないが,最近の雨で水量が多いのだろう.本流は色々と汚そうで怖い.さらに登るとエアリアに記載がある方の水場もあり,そこから一息でウソッコ沢小屋だった.無人小屋だが居住性は悪くなさそう.小屋を発つとかなりの急登.本来なら登れそうにもないところに鉄パイプの階段を固定して登山道としているところもあり,足場が傾いた階段などは少し怖かった.一度休憩を挟んで横窪沢小屋.ここでは三浦が沢の水を汲んだ.トイレを使おうと思ったが,今季は管理人が撤収してしまったようで鍵がかかっていた.
    まだまだ樹林帯を登ると,木々の隙間に深南部の山並みがよく見える展望ベンチがあったが,それを越えるともう一つ倒木のベンチがあり,休憩.そこから3分ほどで水呑場だ.事前のネットでの下調べやエアリアでは涸れているということだったが,水量は一般的な水場くらいあった.ピッチを少し延長して頑張って歩き,傾斜が緩くトラヴァース気味になったと思ったら小屋が見えてきた.これでその日の行動は終わり,のはずだったが.
    この一週間悪天候のため飛べなかったヘリが今日飛ぶ可能性があるとのことでテント設営をお預けされ寒い中待っていると,荷運びを手伝ってくれれば晩飯をご馳走してやるとのお言葉.期待して待つがなかなかヘリは来ず,寒い.そのうちに期待していた言葉,小屋の中で待っててもいいよ,を頂いた.小屋はストーブがついていて暖かい.しばらくすると霧が晴れ,どうやらヘリが飛ぶようだ.ヘリは聖平小屋にも荷物を運ぶので少し待ったが,ようやくこちらに飛んできた.こんなに近くでヘリの風を受けるのは初めてで,とにかく凄かった.荷物を小屋に運び込んだりついでに食器洗いをしたりして,豪華ディナーのお相伴に預かる.揚げ物にシューマイに刺身に生秋刀魚の塩焼きにほかほかふっくら白ご飯,それとビールに日本酒.最高だ.おやつにモンブランも頂き,小屋の方や宿泊客と話したりして本当に楽しいひとときだった.明日の朝ごはん用に余った白ご飯とおかずとアップルパイを頂いた.これで明朝は炊事せずともよい.重ね重ねありがとうございました.7時半就寝.
(文・阪本)


98日 晴れ後曇り

起床3:00-茶臼小屋4:20-5:10森林限界5:20-5:45上河内岳の肩-上河内岳-上河内岳の肩6:15-7:20聖平7:35-8:30森林限界8:40-9:30ガレ場の途中9:40-10:10下る途中10:20-10:35聖兎のコル10:50-11:20兎岳11:40-12:15水場往復12:25-12:40中盛丸山手前のコル12:55-13:35百間洞下降点13:45-14:15百間洞山の家

   起床し,昨日頂いた白飯とおかずとアップルパイで力をつけて出発.日は昇っていなかったのでヘッドランプをつけて稜線を目指す.茶臼岳には寄らずいよいよ稜線歩きスタートだ.途中外れるところがあり,薄暗い中で道を探すのに手間取ったが,快調に進む.途中草原や花畑があったようだがよく見えなかった.その内に右から太陽が昇り出す.富士山もよく見えた.一度休憩を挟んで上河内岳の肩についた.この先も長いがせっかくの200名山,眺望も良いとのことで空荷で往復する.確かに気持ち良かった.再び進み始める.振り返ると,上河内岳が二重山稜となっているのがよく分かった.高度を下げて樹林帯を下って行くと聖平である.小屋はすぐそこに見えたが特に用事もなく寄らなかった.ここから見ると聖岳の登りは果てしない.面白味の無い道をただただ登り,森林限界及び山頂手前のガレ場で二度休憩して前聖岳に着いた.結構しんどかった.三人とも軽くバテ気味だったのでペースに注意だ.
    日本アルプス最南の3000m峰である聖岳には仰々しい看板が立っていたが,ピッチの切れ目の都合上足を止めずに早速下る.こんなに山頂を気にせず聖岳を後にするのは我々くらいであろう.そこからは急に登山客の数が減った.コルまでの途中に幾つか足場が崩れやすいザレ場があり,阪本がそこで転んで手をついた際に手のひらを切って出血したため,小休止して消毒した.絆創膏も貼ったがすぐに剥がれた.聖兎のコルでも多少休憩.行動が長い日なので,休憩は多めに取っている.そこから兎岳へと登り返す.この合宿の特に前半に言えることだが,南アルプスはピークとコルの高低差が激しい.かなり下ったと思ったらまたかなり登らねばならない.難しいところだ.兎岳直下には岩場のようなところもあったが,特に問題もなく登頂.泊まる予定であった避難小屋は遠くから見ただけだが,テント数張分のスペースはありそうだった.山頂で休憩しながらなぜ兎岳という名前が付いたのか考えた.今のところは2818mで二羽一羽,という説が有力である.出発して少し下ると水場の分岐があった.阪本と三浦は水汲みに行った.かなり降りるので登り返しが面倒だ.小兎岳を越え,本日最後のピーク,中盛丸山,その手前のコルでもう一踏ん張りのための休憩.中盛丸山は以外とあっさり越えられた.あとは一心に下るだけだ.このあたりでガスっぽくなってきた.下降点は見逃しようがなく,新道を辿って百間洞山の家到着である.長い一日であった.前日のこともあるので少し期待したが,特にもてなしは受けず,トイレや小屋から少し歩くものの綺麗に整地されたテント場で通常通り幕営し就寝した.
(阪本)


96日 曇り後雨

0300起床―0430百間洞山の家発―0520百間平―0620赤石岳手前広場―0715赤石岳頂上―0835大聖寺岳―0910荒川小屋―1100荒川小屋発―1145荒川岳東岳頂上―1230荒川岳避難小屋―1330荒川岳テン場

この日は曇りだった。小屋とテン場の距離は遠かったため特に小屋には寄らず朝は出発した。稜線上では風が少々吹いていた。赤石岳手前広場まではアップダウンのない歩き。なかなか快適であった。
赤石岳頂上手前には避難小屋があったが、寄らず頂上に向かう。頂上には先客が一人いた。風が強く到底休憩できる状況ではなかったので、とりあえず下り休憩できる場所を探す。再び稜線を歩くと大聖平に着いた。開けた場所で、大きなケルンがあった。そこからしばらく斜面をトラバースすると荒川小屋に着いた。とりあえずテントを設置。荒川岳にピストンするか判断する。時間的には十分、一方天気はこれから崩れるとのこと。現段階では雨が降っていなかったためとりあえず出発した。
歩き始めて3040分で雨が降り始めた。風が強く寒い。避難小屋通過後は稜線歩きで風がまともにあたる。惰性で頂上に着く。外人さんが一人同時刻に登ってきた。
下山時は雨、風ともに強くなり、稜線歩きということもあって想像以上にきつかった。途中避難小屋で雨が弱まるまで休憩。
1330にテン場につく。雨は止まずさらに強くなった。テント内にも水が浸入。雨具を乾かすことができず、大変な目にあった。
(三浦)


97日 曇り時々小雨

0310起床―0500荒川小屋発―0637荒川前岳―0830高山裏避難小屋―1050小河内岳手前―1155前小河内岳頂上―1230烏帽子岳―1330三伏峠小屋

 昨日悪天候の中登った、急坂を再び登る。途中の鹿よけの柵の内側では多様な植物が育っていた。荷物が重い分だけ時間がかかった。荒川前岳を通り過ぎると雨がぱらぱら降ってきた。幸い風は強くなかったため、苦しさはない。その後カールの斜面を延々と下る。途中早稲田アルコウ会の人々とすれ違う。森林限界よりさらに下までいき、しばらくトラバース。途中鎖場があった。
 高山裏避難小屋に着く手前にテン場らしき箇所が67か所見受けられた。この時期、高山裏避難小屋は無人らしい。小河内岳手前まで2回休憩をはさむ。ここら辺はずっと森歩き。このころには雨がやみ、一瞬雲の切れ間も見えた。
 これ以降は稜線上を歩いた。軽いアップダウンを軽快に飛ばしていると、三伏峠の小屋と水場との分かれ道があった。小屋から水を汲みに行くのは大変なので、ここで汲みに行く。水量は豊富だった。ラジオが流れていた。水場から小屋はやはり15分ほどだっただろう。
 広いテント場だった。テープで仕切られており、2030は張れそうだった。小屋に行くと、天気図が貼ってあり、台風の発生を知る。テント場に戻って、今後のことを話し合う。幸いドコモはつながったので、対策は立てやすかった。
 次の日晴れていたら、行動、その後小屋に素泊まり。雨の場合、下山という計画になった。
(三浦)


98日 雨

3:00起床-4:55三伏峠テン場発-5:33衣服調節-6:20林道入る-9:00軽トラックに拾われる-9:15軽トラック降りる-10:07大河原バス停-10:20バス発=11:09伊那大島駅11:51発=12:41駒ヶ根駅13:00

朝起きると雨が降っていた。熊の平小屋まで行けるかは怪しい天候だ。風は弱かった。エッセンを作っている時に、阪本が岸OBからの下山を促すメールに気付いた。雨が強くなってきたこともあり、下山を決定する。1016分大河原発のバスに間に合わせるために急いだ。記録によると登山口まで2時間、そこからバス停まで4時間かかるそうだ。バスを逃してタクシーで帰るのは避けたい。一応、小屋で北部タクシーの番号を写し、雨の中下山を始めた。5時になっても辺りは暗く、しばらくヘッドライトを付けていった。鳥倉新道は石まじりの土の道で晴れていれば歩きやすいだろう。鳥倉登山口から三伏峠小屋までは1/10刻みで道標が立っているので励みになった。中山は下山の途中でスリップして、1mほど滑落した。先行する2人には気づかれなかった。林道に入るころには雨いよいよ強く、傘を差して歩いた。林道はひたすら緩い下り坂だった。道は激しく蛇行しているが、ショートカットはない。舗装路の歩きは膝にくる。林道を2時間歩いたころ、後ろから軽トラがやってきて、運転手さんが「乗ってくかい?」と声をかけてくれた。すぐさま乗り込み、先行していた三浦もあとから乗った。すぐそこの三叉路までだと言われたので過度な期待をせずに、1kmも行ってくれたら嬉しいな、と思った。意外にも10分近く乗せてもらえたので、5,6km進むことが出来た。牛舎の近くで降ろしてくれた。今思い出しても、感謝に堪えない。軽トラはすぐ引き返してしまったので、運転手さんの名前を聞くことも出来なかった。大幅に時間を短縮できた我々は、ゆっくり歩き始めた。民家がちらほら見えだす。下界のにおいがする。バス停は橋の側にあるはずなのに、肝腎の橋が見あたらない。携帯電話で現在地を確認すると、バス停まで歩いて30分の位置にいた。バスが出るまで30分。あまり時間に余裕がないことがわかり、早歩きになる。我々は、バスに間に合ったが、軽トラックに出会わない限り間に合うことはないだろう。次に行く人は注意されたい。

(中山)