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2013年12月23日月曜日

2013.12.23-29 乗鞍冬山合宿

日程:2013年12月23日–29日
行き先:乗鞍岳
記録者:白石薫平

1. 12 月23 日

分倍河原7:20–12:30 鈴蘭13:40–14:00 休暇村14:30–VSA
曇り

塚本、津田、澤田、白石、伏見、松本の6名は駒場部室に前泊して、分倍河原でOBの伊東、内田、大谷、岸と7時に合流した。金山、土井は自宅に泊まり、6時50分に府中本町でOBと合流した。談合坂、諏訪湖のサービスエリアで休憩を取りながら、松本を目指した。松本のスーパーで、VSAでの夕食分、山行用の豚肉を買い出し、鈴蘭に向かった。鈴蘭小屋で事前にゆうパックで送っていたザック2つ分の共同装備類(テント、ザイル等)を受け取った。大谷もここで荷物を受け取った。その後、鈴蘭小屋の向かいにあるメープルで昼食をとり、休暇村に向かった。

各自準備を済ませ、三々五々出発した。伊東と塚本が先行してラッセルした。VSAに到着してからはストーブの火を起こし、エッセン係の土井、澤田、白石が水汲みに行った。宿泊の準備をしている間、一般の登山者と思われる者が来て、VSAの倉庫が無断で荷物置き場として利用されていたことが判明した。この件については、下山後に対策を取ることとなった。

その後、大谷とエッセン係が中心となって夕食を作った。メニューは大谷の差し入れのステーキ、野菜炒めであった。また、この日は12月23日。クリスマスケーキを食後に食べた。

就寝は8時頃になった。OBと一部の現役はストーブの周りで寝た。火は、津田がストーブ番として管理した。

2. 12 月24 日

VSA7:00–8:10 ゲレンデ下部8:25–9:15 ゲレンデ上部–9:30 バス道9:40–10:20 クロイ沢10:40–11:30 バス道–11:40 休憩11:55–12:25 冷泉小屋–13:45 位ヶ原山荘
曇りのち雪

エッセンは4時半、それ以外は5時起床で、鶏雑煮を朝食として食べた。準備を済ませ、7時に出発した。VSAの片付けは、本隊出発後に内田と大谷が行った。

まず、主に夏道を辿りながらゲレンデに向かった。途中からトレースがついており、それを利用した。ゲレンデの下部で一息入れてからゲレンデを登り始めた。現役がスキーでの傾斜歩行に慣れないこと、風が多少でてきたことなどが原因で、少し時間がかかった。ゲレンデからクロイ沢まではバス道を歩き、クロイ沢からは夏道を歩いた。バス道とは打って変わって、傾斜のある道とザックにぶつかるブッシュで、山スキー初心者の現役は苦労した。冷泉小屋の前を通過したあとは、夏道、バス道を交互に利用しながら、位ヶ原山荘にたどり着いた。位ヶ原山荘直前のバス道から薮に入るところで、土井のシールの留め具が壊れた。結局片足にシールがつかないまま、岸が付き添って、バス道を辿って、遅れて位ヶ原山荘にたどり着いた。なお、翌日以降、土井はガムテープによってシールを留めた。

現役は山荘から少し上にある橋の先にテントを設営した。水用の雪集めやトイレ作りを済ませ、各々のテントで夕食のカレーを食べて就寝した。テント割はゴアライトに津田、白石が入り、岸は夕食を2日間このテントでとった。ステラリッジには金山と澤田が入り、V6には塚本、土井、伏見、松本が入った。その日以降は、翌日合流したOBでガイドの田中と、ステラリッジの2名はV6で夕食をとった。

3. 12 月25 日

テント場8:45–9:37 位ヶ原9:55–10:20 休憩10:40–11:05 肩ノ小屋11:45–13:00 蚕玉岳直下コル13:20–13:50 剣ヶ峰14:10–14:45 肩ノ小屋15:10–16:00 テント場
快晴

5時起床で朝食のラーメンを食べた。7時過ぎに伊東とテント場で合流し、田中と合流する方法を協議した。その結果8時45分まで停滞し、肩ノ小屋での合流を目指して先発した。

シールをつけて金山がラッセルし、肩ノ小屋の直前の休憩地点で後ろから来た田中と合流した。田中は前日の夜中12時頃に休暇村に到着し、朝5時前から歩いてきたのだという。この時点で、岸は前日の寝不足からスピードがあまり出なかった。また、この休憩地点で各自クトーを装着し、歩行練習を行った。

肩ノ小屋で昼食をとり、アイゼンを装着。スキー板、スコップ、ストックはここにデポした。岸はここで、剣ヶ峰往復は見合わせる判断をした。

剣ヶ峰までの斜面は、これまでと違って凍結した斜面を登った。アイゼンの不調を感じる者が多かった。特に塚本は引き返して岸からアイゼンを借り、白石は下りの時にもアイゼンが上手くはまらなかった。

快晴の青空の下、剣ヶ峰からは素晴らしい眺望が得られた。御嶽山、穂高連峰、白山などが一望できた。記念撮影などを済ませ、来た道を引き返した。

肩ノ小屋からスキーを装着した。現役はスキーを始めてから日が浅く、白石がスキーを滑らせ数メートル下方に流してしまうなど、不慣れな扱いが目立った。スキーで滑る際は、順番を決めて滑った。伊東、松本、金山、伏見、土井、白石、津田、澤田、塚本、岸、田中の順であった。位ヶ原から位ヶ原山荘までの斜面で転んだり、苦労した者が多かった。

テント場に戻ってからは各テントで水作りと夕食準備を行い、夕食を食べて寝た。メニューはシチューの予定であったが、伏見が材料を部室に忘れたため、急遽豚汁に変更された。

4. 12 月26 日

旧テント場7:15–8:05 クトー装着8:30–8:37 滑降準備8:55–9:50 旧テント場10:20–新テント場探し–天幕移動–イグルー作り
雪、上部は風強し

起床は5時で、ラーメンを食べた。7時過ぎに伊東と合流し、スキー練習の日が始まった。

まず、金山のリードでテント場と山荘の間にある橋から鶴ヶ沢右岸を登った。登れば登るほど風が強くなった。急斜面のトラバースの途中で、津田が落下した。幸い、斜面に生えていたダケカンバで止まり、伊東が手伝って本隊の後ろから追うことになった。このトラバースの後、また一つ斜面をトラバースし、緩傾斜の沢地形で休憩をとってクトーをつけた。そして7分程この沢を上がった地点からスキーで下りることになった。滑走開始地点は2,550m付近であり、濃霧の中ホワイトアウト状態で滑るのは危険なため、引き返すことになった。

スキーでゆっくりと一時間ほど下り、再び山荘付近の橋に戻った。テント場で昼食をとった後、ワカンを履いてテント場探しに出発した。バス道から5分程登った針葉樹に囲まれた場所を選び、元のテント場を撤収して荷揚げした。荷揚げの最中に松本のビンディングが壊れ、滑走モードに切り替えることができなくなってしまった。

また、1年の澤田、伏見、松本が靴ズレを起こした。いずれも靴のサイズが小さいようであった。

設営の後は伊東が主導してイグルー作りとなった。皆で雪を切り出し、高さ約2メートルのイグルーが出来上がった。この日の夜から、金山がこの中で寝た。

テント割も天幕移動に合わせて変更された。ゴアライトに土井、松本、ステラリッジに塚本、伏見、V6に金山、津田、澤田、白石が入った。この日から岸は山荘に泊まることになり、岸の個人テントに田中が入った。イグルー作りの後はゴアライトとV6で水作りとシチューの調理を行った。

5. 12 月27 日

テント場7:00–テント場西側斜面で各種雪山訓練–13:30 位ヶ原山荘14:45–テント場
雪時々晴れ

5時起床でラーメンを食べた。7時頃、伊東と岸がテント場に到着し、テント場の西側斜面で各種雪山の訓練を行った。

まず、田中が中心に弱層テストの解説を行った。1年を中心に実際に雪柱を作った。この際、澤田と白石が作った柱は大きすぎ、田中に10分以内に迅速に作れるものでないといけない、と指導されていた。この時の雪では、4つから5つ程の層が見られた。特に、前日降ったかなりの雪層は顕著であった。

次に、雪崩で生き埋めになった状況を想定した訓練を行った。弱層テストで削った雪を利用して、まず初めに1年が雪に埋められた。エアーポケットを確保したにも関わらず、大声で助けを呼んだりするとすぐに苦しくなる、という感想を持つ者が多かった。2年も全員雪に埋まり、プローブで人を指す感覚も学んだ。

生き埋めの後はビーコン探しを行った。2グループに分かれて、3つのビーコンを探し当てるという形式を採った。まず初めに金山、津田、澤田、白石のグループが探した。このグループは4 人がそれぞれ別の方向に向かって歩き、発見した者が一人で掘り出すというように探していた。結局、9分ですべてのビーコンを探し当てた。他方、塚本、土井、伏見、松本のグループは塚本を中心に探し、発見したら4人が集まって掘るという形だった。このグループは14 分で3 つのビーコンを見つけた。田中の講評として、4人で掘る必要はないが、コミュニケーションを密に取りながら捜索を行うのが望ましいということだった。

テント付近で休憩してからはスタンディング・アックス・ビレイの練習だった。これは、先ほどのグループ分けから金山と土井を入れ替えて行った。3ピッチ登って下降した。まず2年が模範として実際に示して、その後1年が行った。肩がらみの方向などで混乱が見られたが、OBが回りながら指導をした。

午後はスキーで位ヶ原山荘まで下って、休養に充てられた。お汁粉をいただき、乾燥室も使わせてもらった。ビンディングが壊れていた松本は、この時に岸のスキーと松本の靴を合わせた。

テントに戻ってからは夕食のカレーを作って食べて寝た。夜は猛烈に冷え込み、強風が吹き荒れた。

6. 12 月28 日

テント場9:00–10:00 冷泉小屋12:00–12:35 位ヶ原山荘14:40–テント場
吹雪

5時起床でラーメンを食べた。6時50分頃出発準備をしていると、田中の携帯電話に岸から電話が入り、強風と雪のため2時間待機することが伝えられた。各テントで時間を潰し、9時頃に橋付近で伊東と合流した。松本は足がむくんでスキー靴に入らず、テントで待機することになった。スキーを松本に貸していた岸も位ヶ原山荘で待機した。

夏道を通って冷泉小屋まで下り、東側斜面をゲレンデにしてスキー練習をした。前夜の新雪は昨日と比べてかなり重たく、滑走に苦労した。20メートル程滑っては登るのを繰り返し、シュテムボーゲンなどの練習を行った。

12時頃に来た道を引き返し始めた。途中で白石の靴と板が外れ、さらにシールも外れて手間取った。山荘に着いてからは、登山靴を持っている塚本と土井がテント場に戻り松本を呼びに行き、他のメンバーは山荘に入って休んだ。ここでもお汁粉をいただき、暖をとった。

時間を見てテント場に戻り、夕食の豚汁を作って食べて寝た。冬山合宿最後の夜とあって、各テントとも夕食の席は盛り上がっていた。寒さは相変わらずだったが、風は昨晩よりも収まっていた。

7. 12 月29 日

テント場8:30–8:40 位ヶ原山荘–8:55 冷泉小屋9:00–9:50 休憩10:00–11:00 休憩11:20–11:45 ゲレンデ–12:30 休暇村14:10–14:20 鈴蘭14:40–14:50 カフェレストランふきのとう15:45–分倍河原
晴れ

5時起床でラーメンを食べた。8時を目標に撤収したが、スキーの不得手もあり結局目標時刻に間に合わなかった。

位ヶ原山荘からは、塚本と伏見が先行してラッセルした。冷泉小屋の辺りで後発隊が追いつき、ラッセルを適宜交代しながら進んだ。以降はバス道を下り、三本滝上部の沢を渡る付近で雪崩に注意して進んだ。その後はすぐにゲレンデに到着し、皆から歓声が生まれた。

しかし、ここからゲレンデの下りも一苦労だった。まずは斜滑降とキックターンで滑った。その後ボーゲンに切り替えながら、長いゲレンデを休暇村駐車場まで下った。その後、各車ごとに荷物を整理し、休暇村の温泉に入った。風呂から上がった後は一旦鈴蘭に寄ったが、メープルが開いていなかったため、少し下ったところにある、ふきのとうという名のレストランに入った。そこでの食事を済ませて東京、大阪の各方面に帰った。年末だったため東京方面は渋滞に巻き込まれなかったが、大阪方面は渋滞につかまった。

2013年12月6日金曜日

2013.12.06-12.09 鹿沢スキー練習合宿

2013鹿沢スキー練習合宿 記録(12/6~12/9              文責:澤田健太郎

126日(金)

参加者 現役:塚本、澤田
              OB 伊東、木邨

127日(土)
参加者 現役:塚本、金山、土井、澤田、白石、伏見、松本
              OB 内田、伊東、木邨、益崎、岸、椿谷、山本(夜から)、串橋

128日(日)
参加者 現役:塚本、金山、津田、土井、澤田、白石、伏見、松本
              OB:内田、伊東、木邨、益崎、岸、椿谷、山本(昼まで)、串橋、小田

129日(月)
参加者 現役:金山、土井、澤田
              OB 内田、伊東、益崎、串橋

126日 曇り
 午前7時に分倍河原にて合流。伊東車で鹿沢に向かう。平日ということもあり、道路の流れは順調で、10時すぎに鹿々山荘に到着する。到着後、電気、ガス、石油ストーブ、水道と山荘の設備を点検していく。水道以外は問題なかったが、水道だけは手引書の手順をこなしても水が出ず、仕方なしに藪を漕ぎ、近くの沢から水を汲んでくる。しばらくすると何故かタンクに水が溜まっていたのでポンプの電源を入れる、がまだ水道から水がでない。ポンプに呼び水を入れしばらく放置していると、水道から水が出始める。ようやく山荘の使用準備が整い、軽く昼食を食べた後ゲレンデに向かう。
 13:30ころゲレンデに到着し、スキーを履き、木邨講師に歩行の仕方や斜面の登り方、キックターンなど基礎的なことを教わる。ここで最重要なことは、斜面の最大傾斜角を常に意識しそこにエッジを立てるということだと教わる。また、ゲレンデの場合は自分が動き出す前に常に上方を確認して他のスキーヤーの動きにも留意しなくてはいけないとのことだ。ゲレンデ最下部の緩斜面にて滑る、曲がる、止まるの基本的な動作を練習し、15:30にはゲレンデを後にし、山荘に戻る。
 電気炊飯器完備の快適な山荘にて、モツ鍋を作り、21:00すぎに就寝。

127 晴れ
 午前6時に起床。昨晩の鍋の残りを雑炊にするが、水分が少なく幾分粘ついた米になる。7時には食事の片付けも終わり、その後お茶を飲みゆっくりしてからゲレンデに向かう。8:30にならないくらいにはゲレンデに着いていたが、車が多く、停める場所に難儀する。どうやら埼玉県の指導者講習会とバッティングした模様。
 ゲレンデにつくと、まずスキーにシールを装着し、歩いて斜面を登っていく。この時の注意としては、まず普通シールを装着するような環境は風が強いので、シールの袋やビニールを飛ばされないようにザックに入れること。シールの袋を入れたザックを下に置いてきてしまったので、結局歩いてザックのところまで戻る。その後リフトで上まで上がり、斜滑降の練習などしながら下る。
 昼前に椿谷車が到着した。リフト一日券を買ったようで、椿谷、金山、白石は別グループで練習した。
 その後、内田車、岸車、串橋車も到着し、そちらの組とは合流して、初日到着組と合同で練習した。ゲレンデ下部の緩斜面にて、もう一度、歩き方や滑る、曲がる、止まるなどの基本動作から練習した。また、曲がるときにストックを利用して体重移動を行う動作も練習した。この時は曲がる方向の手にあるストックを、スキー板の先端を意識して前の方に。ストックは付くとき以外は小指で持ち上げるイメージで体の後ろに、ストックを持つ手は体の前に出し荷物を抱えているようなイメージで、体は後傾しない、とのこと。
 15:30にはゲレンデを後にし、山荘に戻る。この日は一番人数が多い日ということで、盛大に宴会を行う。途中山本OBも到着し、追加の物資が投入される。途中で紅葉館宿泊組の内田、伊東、木邨、益崎各OBは山荘を後にするが、その後も宴会は続いた。

128日 晴れ
 昨日と同様6時に起床。鍋の残りにラーメンを投入し、朝食とする。
 ゲレンデに移動し、各々リフト一日券を購入。指導を受けながら滑る。体重の移動やエッジの使い方などを教わる。10時頃に小田車が到着し、合流。津田が合流後、スキーにシールを着け、登る練習をする。昨日と同じく、シールの袋などを飛ばさないようにとの注意を受ける。シールで登り、クライミングサポートの調節なども行ってみる。しばらく歩いた後、クトーも装着した。クトーを着けた場合は、クライミングサポートを高くするとクトーが効かなくなるので、サポートを二段目にはしない、とのこと。クトーを着け登る練習をしたあと、シールとクトーを外し、斜面を滑り降りる。
 15:30にはゲレンデを後にし、帰京する組と山荘に戻る組に別れる。山荘の夕食は豚汁だった。

129日 晴れ
 昨日の豚汁にラーメンを入れた朝食を作った後、ゲレンデに移動。
もう一度斜滑降の練習をする。斜滑降の姿勢で大切なことは、体の向きは谷側を向き、スキー板の方向には向けないこと、とのこと。止まるときも特に体の向きを意識することが大事だという。斜滑降・キックターンを練習しながら斜面を下る。ゲレンデではいい加減に滑っても滑れてしまうが、山ではこうは行かないので、基本動作を忠実に覚えることが重要だ。しばらく練習をすると皆斜滑降の姿勢がそれなりになってきた。
 山荘の片付けがあるので14時ころにはゲレンデを去り、山荘に戻る。手引書にしたがい、掃除機がけをし、雨戸を閉め、水を抜き、と一連の作業を行う。そして紅葉館で入浴し、帰路についた。

2013年11月21日木曜日

2013.11.21-11.24 初冬合宿

2013年初冬合宿 爺ヶ岳山行記録(11月21日~24日)
作成者 金山
参加者
現役 塚本(SL、二年)金山(二年)、澤田(一年)、伏見(一年)
OB 田中OBL)、岸OB 

1121()
7:20信濃大町=8:40鹿島山荘~16:40JP到着、天幕設営―18:30夕食―20:30就寝
1122()
5:00起床―6:00朝食―7:00出発~12:40天幕設営、ルート工作隊出発~15:00ルート工作隊撤退~15:20ルート工作隊帰幕―17:00夕食―19:00就寝
1123()
4:30起床―5:20朝食―6:20出発~7:00ルート工作終了地~8:00P211:20P113:30爺ヶ岳山頂~14:00P114:30P215:20帰幕―17:30夕食―19:30就寝
1124()
5:30起床―6:20朝食―7:45撤収完了出発~9:00JP12:30鹿島山荘

記録詳細
1121日 曇り時々晴れ
信濃大町駅にて田中OB,金山と合流し、取りつき地点である鹿島山荘を目指し車で移動。建設会社のプレハブ近くに車を止め山行を開始する。道路からだと鹿島山荘の位置は分かりづらいが、道路沿いにある登山者向けの掲示板を目印にすると良い。
天候は風もなく、時折晴れ間が、時折粉雪が舞う絶好の登山日和。しかし、新雪であったことに加え、先行者が一人もいない状態であったため、雪が非常に柔らかくラッセルに苦しんだ。雪の量も多いとはいえず、JP以降も藪を漕ぎながらラッセルをするはめになった。結局、当初の予定であったP3までは全く届かず、JP付近で設営を行った。

1122日 雪時々曇り
昨夜は雪山にしては過ごしやすい気候であったため、メンバーは皆快眠を得られたとのこと。意気揚々と出発したが、昨日に続きラッセルの連続。P3付近になると、木々の間の空洞に嵌る現役が相次ぎ、穴に嵌ったらラッセルを交代するというルールで上手くローテーションが組めたほどであった。
P3を過ぎ、ある程度なだらかになった地点で設営。
田中OBがここまでの雪の状態を鑑み、無策では翌日の登頂は無理を判断し、設営を岸OB,澤田、伏見に任せ、田中OB,塚本、金山はP2までのルート工作を目指した。田中OBがにらんだ通り、設営地点以降の雪も非常に柔らかい。雪の量だけは以前より多いため、進みがさらに遅くなる。頭上の雪をかきわけるという貴重な体験をしつつ、結局2時間かけてP2には至らず。天気も悪いため天幕に引き返す。帰幕に20分しかかからなかったときは徒労感を覚えた。
豚汁で英気を養いつつ、翌日のアタックに備えて皆早々に就寝した。

1123日 晴れ
田中OBにより、登頂のリミットを13:30に設定し出発。
昨夜は夜通し雪が降っていたため、工作した踏み跡が消えてしまう。それでも、何もないよりはましで、昨日は2時間かかった工程を一時間弱に短縮出来た。リミットがあるため以降P2までは、ラッセルの速度に比較優位を持つ田中OB、塚本、金山が交代でラッセルを行い道を作る。P2以降は流石にラッセルをしないことに物足りなさを感じてきたのか、他の三名もラッセルに名乗りを上げ、皆で協力して道を作っていく。
P2過ぎのナイフリッジとされる箇所も、柔らかい雪が積もっていた。ただ切り立っていることには変わりはないので、塚本がリードでザイルをフィックスして通過した。およそ20m。復路はザイルを出す必要はなかった。
ザイルが必要だったのはその一か所だけで、P1付近になると雪も大分しまってきた。P1にたどり着くと、今まで距離を感じていた爺ヶ岳が急に迫って見え、ラッセルの難易度が下がってきたことも相まって、一同は喜びに歓声をあげた。
P1で昼食をとり、爺ヶ岳に向けて最後の歩みを進める。が、そこに待っていたのはまたしてもラッセル。雪が締っていたのはP1付近の前後20mほどだけで頂上まで一時間を見積もっていた一同を落胆させた。
リミットちょうどの13:30に山頂に到着。結局アイゼンは不要であった。頂上は快晴微風。山頂からは日本海まで見渡せた。夏に登った劔をみて、塚本が一年生に尾根の解説をしていた。
山頂から天場までは登りの苦労が嘘のように軽々と降った。この日は、カレーとシチューのスクランブル。濃厚な味わいを楽しめた。三日目になると一年生二人も雪山の生活にだいぶ慣れた様子。
1124日 晴れ
朝風呂に入ることを目標に出発。JPまで1時間強と非常によいペースで降る。
ところが、1331mピーク過ぎの最後の急斜面に差し掛かったところで雪が消失。枯葉だけが残る滑り台と化した斜面が待ち構えていた。慎重に降っていくが、澤田が途中5mほど滑り落ちる。これは危ないということになり、本山行初となるアイゼンを装着。無事下山。出発時には30㎝程積もっていた鹿島山荘付近の雪も溶けており、時の流れを感じた。
帰りは温泉郷の露天風呂を堪能し、昼食をとり田中OBと別れ帰路に就いた。

感想
塚本 他パーティもおらず、リードも自分が完遂。実力がうまく発揮できた。
金山 ラッセルにも慣れはあって、技術的な上達が可能。天気の良い日に山頂に登れて満足
伏見 ラッセルだけでなく、薮も大変だった。エッセン係としてはおいしい食事を作れて満足。特に豚汁。
澤田 初めての雪山。多少は慣れも出てきたか。テント生活をはじめとする各種時間の短縮等反省を活かしたい。ラッセルとか体力強化が必要
OB 2年生が上達、去年とは違う姿。特に、ラッセル、薮のなかのルート探し。テント生活にも工夫を。

2013年10月27日日曜日

2013.10.27 鷹の巣尾根個人山行

期間:2013年10月27日(日)
天気:快晴
メンバー:1年:澤田、白石、2年:塚本
記録:白石薫平
 
東日原–八丁山–ヒルメシクイノタワ–鷹ノ巣山–六ッ石山–奥多摩駅4:20 駒場5:02–7:17 奥多摩駅7:25–7:50 東日原8:00–8:13 巳ノ戸橋–8:33 廃屋跡–8:48 開けた砂地9:00–9:33 八丁山岩場9:45–9:50 八丁山10:05–10:36 お伊勢山–10:41 鞘口のクビレ–10:57 緩傾斜地にて休憩11:05–11:25 ヒルメシクイノタワ–11:46 鷹ノ巣山12:00–12:50 六ッ石山手前のコル13:00–13:50 道の途中で休憩14:00– 14:33 車道に出る–14:41 羽黒神社–14:58 奥多摩駅

新学期が始まり、初冬合宿まで比較的余裕のあるこの時期は、個人山行期間となった。夏休み中、OBの藤原国生さんに藪山についてのお話をうかがった記録者は、正規の道が通っていないこのルートの計画を立てた。

計画では、25日の夜に奥多摩駅で野宿する予定だったが、関東付近を25日から26日午前にかけて通過した台風27号の影響を考慮し、26日は駒場部室に泊まり、27日に歩くという予定に変更された。

起床は4時20分であり、各々朝飯を食べてから井の頭線に乗った。吉祥寺で中央線に、立川で青梅線に乗り換え、最後は青梅で奥多摩方面への車両に乗り換えて、奥多摩駅に到着した。ここで登山計画書を提出し、座席はすべて埋まる程度の混雑のバスに揺られて東日原を目指した。6割ほどの乗客は川乗橋で下車した。

東日原に到着した後は、トイレと体操を済ませてすぐに歩き出した。初めは集落の中の車道歩きである。5分ほどで稲村岩尾根登山道を示す標識に達し、石段を日原川に向けて降りた。台風の影響で落ち葉の多い登山道を下り、巳ノ戸橋を渡った。川は増水していたが、渡れない程ではなかった。

それからは10分ほど登山道を歩いた。そして稲村岩尾根の道標の所で正規の道を外れ、作業道に乗った。比較的明瞭な道が九十九折で続いていた。しばらくすると廃屋跡と大きな釜が転がっている広場に出た。事前にインターネットで参照していた山行記録通りだった。まだ少し作業道を歩くと、植林用か何かの看板(平成18年と書いてある) に出くわした。ここで、先人の記録に従い、作業道を外れた。斜面を登ってゆくと、4基ほどの墓石があった。ここから尾根の南側を進んでゆくと、植林の杉が開けた砂地に出た。我々はここで休憩をとった。休憩中に全員で、1:25,000地形図で現在地の把握を試みた。

この砂の斜面からは、尾根に乗ろうと意識して進んだ。そうすると鹿避けの有刺ネットが出てくるので、しばらくこれに沿って歩いた。尾根の途中の小さな露岩を越え、植林と自然林の境界部分を歩いてゆくと、大きな岩場に出た。硬くて足場も取りやすいので、さほど大きな危険はなかった。ここからのタワ尾根方面の展望は最高であった。この岩場を越えるとすぐに八丁山の山頂である。山頂からの展望はないが、小さな標識と赤布が掛かっていた。ここで昼飯を食べた。

八丁山からの急な下りを終えると、凹地のあるコルに出た。ここから幾つかの登降があり、お伊勢山(1:25,000地形図では1338高点) に到着した。お伊勢山の標識は木の根元に立て掛けてあった。山頂から下ると鞘口のクビレである。ここには、巳ノ戸谷での遭難碑、行政の看板、倒れた道標、そしてブルーシートがある。昔は、巳ノ戸谷から鞘口のクビレを経て巳ノ戸の大クビレに至る巻き道が存在したようである。我々はブルーシートの方面へ向かって歩き出した。

ここからはヒルメシクイノタワへの最後の急登である。枯れたスズダケが多いが、掴んで登ろうにもすぐに抜けてしまうので、支えにすることは出来なかった。また、多いと言っても藪を漕ぐほどではなかった。この辺りから上の木には赤く色づいた葉が多く、急登にあえぐ我々の目を楽しませてくれた。

ヒルメシクイノタワに出ると、鷹ノ巣山までは一登りであった。日当たりの良い山頂は、富士山を眺める人たちで賑わっていた。下山路は予定通り石尾根を選んだ。登りとは違って一級の道で、来年の新入生歓迎には持って来いだと思った。しかし道の途中には、この度の台風のためか、9月の台風26号の影響か、倒木が大変多かった。それらを避けて歩いているうちに、道を外れてしまい、将門馬場の付近では全く違うところを歩いていた。不幸中の幸いか、鹿のヌタ場も見られた。六ッ石山の手前で正規の道に合流することができた。

適宜休憩を取りながら下山を続けた。誰とも会わなかった登りとは違って他の登山者が多く、ハイカーやトレイルランナーに多く出会った。急な下りもあまりなく、車道に出た。そこからは集落の中や羽黒神社の前を通りながら進み、奥多摩駅までは30分もかからなかった。幸い、駅到着後10分ほどで電車が来て、迅速に帰ることができた。

さて、振り返ってみよう。この山行は道のない山を歩く、ということが最大の目的だった。鷹ノ巣尾根には普段歩いているような道はないが、作業道のような踏み跡が多かった。そして、今回はそれを辿ってゆくことで迷うことなく歩けてしまった。その点で、目的は達成されたとは言い難い。しかしながら、日頃は手薄になっている読図の練習をする機会もあり、一定の収穫はあった。今後は、比較的歩かれていない尾根や本格的な藪漕ぎが必要になる尾根を探し、それらを歩く機会を設けられれば良い。また、登りのみならず下りにも、このような尾根を取り入れられるだけの能力を養ってゆくことが肝要である。このためには、山腹を林道が囲んでいるような山や、徒渉不能な川がないような山で下山の練習を積むのが有効だろう。

2013年10月19日土曜日

2013.10.19 会津駒ヶ岳

会津駒ヶ岳山行記録
記録者 金山
期間:1019()
メンバー:金山

1018()
23:55浅草発=
1019()
4:00会津高原尾瀬口着=5:32会津高原尾瀬口発=5:51会津駒ヶ岳登山口前着~5:51会津駒ヶ岳登山口~6:30水場~7:30駒の小屋~7:45会津駒ヶ岳山頂~8:28中門岳~9:10駒の小屋~10:00水場~10:35会津駒ヶ岳登山口前

天気 曇りのち雨

東武鉄道が運営する「尾瀬夜行」に乗り会津駒ヶ岳に向かった。この夜行に乗ると6時前から歩き始められるのでだいぶ楽になる。事前の予報では土曜日中は大崩れしないとのことであったが、雲模様が怪しかった為、多少急ぎ目で歩いた。駒ヶ岳までの道は整備されており、紅葉も見頃であったため心地よく歩くことができた。道も特に急ではなかったが、水場を過ぎたあたりから前々日振ったと思われる雪が凍っており非常に歩きづらかった。湿原を通るので木で作られた道が引かれているのだが、その道が凍っているため非常に滑った。すれ違った山行者の中にはアイゼンを装着している人もいた。
会津駒ヶ岳の頂上は見晴らしが悪いので、山頂からの見晴らしはいまいちであったが、そこに至る道は景色が開けており特に燧岳は目立っていたこともあり印象に残った。ここで昼食をとった。会津駒ヶ岳から中門岳に至る道はほとんど雪原といっていいような状態で少し道を外しても問題なかった。中門岳からの眺めは良好。
復路の氷の斜面に何度かバランスを崩したが全体を通して危険個所は特に見当たらなかった。
追記となるが、1120発のバスに乗れれば5時前に浅草に戻れるので非常に快適になる。

今回は時間がなかったが、次回は至仏岳のほうまで足を伸ばしてみたい。

2013年9月28日土曜日

2013.09.28-9.29 秋山合宿(白峰三山隊)

秋山合宿(白峰三山隊)記録           9/28~9/29                          文責:澤田

9/28 天候:晴れ  駒場東大前駅5:46 --- 6:09吉祥寺駅 6:18 --- 6:56 高尾 7:02 --- 8:38 甲府 9:00 --- 11:00 広河原 11:05 --- 12:12 休憩 12:22 --- 13:00 白根御池 13:20 --- 14:15 休憩 14:25 ---14:50小太郎尾根--- 15:25 北岳肩の小屋

9/2722時頃から部室に集まり始め、全員が前泊し翌朝早くの出発に備える。4:40に起床し、めいめい朝食を取り荷物の確認などして過ごす。5:46に駒場東大前を出発し、吉祥寺でJRに乗り換え、高尾で更に乗り換え甲府へ向かう。甲府の広河原行きのバス停には登山者の列が出来、バスが4台出るという様だった。11時に広河原につき各々トイレを済まし、出発。樹林の中ゆるやかな登りが続く。天気がよく汗ばむ。道が平坦になり少し歩くと白根御池小屋に到着する。時間、体力的に余裕があることから、リーダーが肩の小屋まで行くことを決定する。白根御池を出発し、草すべりの斜面を登っていく。鹿の食害を防ぐ柵を通り過ぎ、視界が開け登りがゆるやかになる。小太郎尾根の分岐を通り過ぎ、肩の小屋に着く。テン場につくとどうやら風が当たりやすい場所しか空いていない様だったので、風の対策をしテントを張る。16時からエッセンを開始する。冷凍野菜とソーセージを使ったカレーを作り、食す。米もうまく炊けていた。お湯を沸かしクリームスープを飲む。また、翌日は北岳からご来光を、という話になったため、日の出時刻に北岳山頂に居られるよう、4:30までには出発しようということになった。


9/29 天候:晴れ  北岳肩の小屋 4:25 --- 4:55 北岳山頂 5:40 --- 6:15 北岳山荘 6:25 --- 7:25 間ノ岳山頂 7:35 --- 8:25農鳥小屋 --- 8:35休憩8:45 --- 9:10西農鳥岳山頂--- 9:35農鳥岳山頂9:45 --- 10:05下降点--- 10:35休憩10:45---11:50大門沢12:20---13:20休憩13:30---14:30登山道出口---14:50奈良田16:15---17:15飯富17:29---22:00新宿


3:00起床。外が寒いので天幕内でエッセンを作る。今回は実験でうどんを作ることにした。茹でたお湯をそのままスープにしたのでとろみが多い。塩気も強いように感ずる。土井、澤田は食欲がなくなんとか完食する。エッセン後、撤収をし4:25に出発。水を汲んでいくが肩の小屋の水は不味い。夜明け前で星が瞬く中ヘッドランプを頼りに山頂を目指す。30分ほどで山頂につき昇日を待つ。太陽が頭を出した頃山頂を出発する。北岳山荘までザレた下りを慎重にゆく。北岳山荘で水を入れ替え不味い水と別れる。中白根山を巻き、間ノ岳山頂につく。農鳥小屋まで下る。途中道を外れ、下りがきつい場所に出たので元の道に戻る。農鳥小屋を素通りし、しばらく登り、西農鳥岳山頂に着く。下って登り返し、途中岩場が多い、そして農鳥岳山頂。ここからはしばらく道の広い下りが続き、多少ペースを上げて降りる。大門沢下降点の鐘を通り過ぎ、下降点からさらに降りていく。ここからは狭く勾配もあるので慎重に行く。沢を渡る丸太の橋を通過する。大門沢に到着し、ここでは長めに休息をとる。大門沢到着時に12時前だったのでそのまま奈良田に降りることに決定。大門沢を出発し、何度も木製の橋を渡る。勾配はきつくない。樹林に入って暫く行くと発電所が見え、その前に吊り橋がある。発電所を通り過ぎ、さらに二つ吊り橋を通過すると広河内登山口から舗装道路に出る。ここで一度休み、奈良田温泉を目指し走ったり早歩きをしたりで各自向かう。温泉に入り、乗合バスで飯富に出て、さらに高速バスで新宿に向かい、新宿で解散。